きょう買った新刊

  • 東浩紀ほか『コンテンツの思想』(青土社
    • この本に収められた東浩紀との対談で、「一〇〇パーセント虚構(描かれた絵)であるアニメという表現手法にリアリティをもたせるとしたら、作品世界が僕らが生きている現実の延長線上にある共通認識を視聴者に持たせるしかない」と語る神山健治が、『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』でスポイルされたものを語っている。

もともと「個別の11人」のモチーフは三島由紀夫をベースにやろうというのがあって、『近代能楽集』は基本は「邯鄲」「綾の鼓」「卒塔婆小町」「葵上」「班女」「熊野」「道成寺」「弱法師」「源氏供養」の九篇で構成されています。ですが、あともう一編アメリカに招かれて書いた「ロングアフターラブ」を足した一〇篇とする、というような逸話を聞き(一〇〇パーセント確かな情報ではありませんが)、では、そこに更なる幻の一編が存在したという設定にしたらどうかと考えたわけです。その幻の一一篇目が「個別の11人」という戯曲だったという設定で。つまり『S・A・C』におけるサリンジャーにあたるものを三島でやろうということだったわけですね。
事前に各方面に聞いてみて、三島さんの作品をそのようなかたちで使うことに対してやっぱり許可を得るのが不可能だという意見が大半を占めていたんです。最終的にはI・Gに街宣車が来る可能性までも勘案した結果、そこまでのリスクは負えないということで断念したんです。そんなふうに、いろいろ現実に存在する危ないネタをスポイルしながらはじめてしまったがゆえに、『2nd GIG』は僕のなかですこしずつリアリティが失われてしまったということがあった。三島であれば、皮膚感覚的にひりひり来ていたのが、パトリック・シルベストルという架空の作家の革命評論集としたことでちょっとぼんやりしてしまった。その時点で全体の方針を再考すべきだったのかもしれないですけどね。そういった理由もあって、自分の皮膚感覚を作品に投影していくという僕のスタイルにおいて、やりたいこととやっていることがブレてしまったというのはあるかもしれない。

    • 失われた傑作に、号泣。