学会潜入

  • 昼から独りで出掛け、京都へ。M女史にお誘いいただき、京都大学で行われる「教育思想史学会」*1の大会を聴講するためである。
  • 地下鉄丸太町駅からそぞろ歩き、途次に点在する古本屋を覗きながら行き、探していた熊倉功夫の『御水尾天皇』を安価で見つけて喜んだりするが、突然の大雨で、傘は持っていたがすっかり歩みはのろくなり、到着するとM女史の発表は既に終了していて、申し訳ない限り。帰国したばかりのT嬢やIさんの発表は聴くことができた。
  • 終了後、M女史に懇親会にお誘いいただく。部外者であるにもかかわらず、その後の飲み会にも連れ出してもらい、恐縮しきり。
  • M女史から紹介されたY氏に、そのクルマで、やはりM女史から紹介されたF女史と共に京都駅まで送っていただく。車中、高等教育の現場のあれこれをY氏に訊く。なかなか驚かされること多し。教育をサーヴィス業であるとする認識は、やはり棄てたほうが良いみたいである。
  • 電車の中で、F女史といろいろお話させていただく。
  • すっかりポストモダンがベタに実現してしまった現在を例えばポスト・ポストモダンであるとするならば、その到来以前のモダンの終わりに編まれたポストモダンの思想そのものを批判の俎上に載せなければ、ポスト・ポストモダンの現在を有効に捉えることなどできようはずもないのであるが、ポストモダンの論者たちにとって、その営みはややもすれば、ベタなモダンへの回帰と捉えられかねないと云うようなことがあるようである。
  • 世代論などくだらないとガキの頃は思っていたが、現状の基本認識と云うことに於いては、世代での断絶と云うのは、やはりあるのかも知れないなぁなどと考える。