ベルリン国立歌劇場『モーゼとアロン』を観る

  • 昼前まで父親の家で。
  • 朝、父が茹でてくれたスパゲッティを食べる。アルデンテと云うものを子供の頃の私がはっきりと知り、母の茹でる饂飩みたいなものとはまるで異なるパスタの茹で方があると云うのを知ったのは、やはり父親が台所に立って作ってみせたスパゲッティを食べたときであり、それに決定的に影響されたまま、いまもって続いている。
  • 上野へ出る。
  • 駅前の古本市を覗き、昼を取ってから、西郷南洲銅像の後ろの木立の奥で、ひっそりと聳えている彰義隊の墓を眺めたりして、東京文化会館へ出て、ベルリン国立歌劇場の来日公演、シェーンベルクの『モーゼとアロン*1を観る。指揮はダニエル・バレンボイム、演出はペーター・ムスバッハである。
  • さて、まずは演出だが、CGや鏡を使うのではなく、舞台上に隅から隅までびっちり詰まっているエージェント・スミス*2と云うのは、ツカミとしては充分だが、其処からのひねりがまるでない。どうせならオーケストラ・ピットもバレンボイムを含めてエージェント・スミスにしてしまえばよかったと思う。しかし、そんな小手先のことではなく、『マトリックス』からの引用*3と、ポータブルTVを舞台上に並べるだけで、ディジタル複製やらネット社会やらを批判しておりまぁす、なんて顔ができる時代と云うのはもう疾うに終わっているわけで、つまり、この舞台を観るのは、五年前のパソコン操作のハウ・トゥを読まされているみたいなものだ。いやしかし、五年前のパソコン本でも、それが成り立っている根本的な思想なりアーキテクチャへの深い洞察があれば、もちろん今も読むに耐える何かがあるのだろうが、残念ながらムスバッハの演出には、それは見受けられなかった。
  • 私は現在の、メトロポリタン歌劇場のあたりでは「ユーロトラッシュ」と蔑称すらされているらしい、いわゆる読み替え演出に就いては、大いにやれば良いと考えているが、たとえその舞台がアイディア一発勝負のものであっても、その演出で上演されるオペラの可能性を押し広げるものでなければ、やはりダメだと思うのである。だから逆に云えば、たとえト書き通りの舞台を作ったとしても、演出の意図や批評性が不在なら、そのオペラの可能性の敷衍は行われないわけで、もちろんダメである。このあたりのことが判らず、歌手が自己満足のために舞台の中央で歌い、それに夢見心地で喝采を送るのだけがオペラの愉しみ方だと思っているクソジシイや声楽科ご出身の方々がまだまだおられるのは、残念な限りである。
  • 誠に残念であるが、今日の舞台だったら、シェーンベルクの指示通りに画面の中身を揃え、それをそのまま坦々と作ってゆくことで、逆にとてつもなくケッタイで、批評的なものにしてしまっているストローブ=ユイレの映画版のほうが、たとえ収録されている音声もモノラルであるにせよ、ミヒャエル・ギーレンの指揮する音楽も含め、百倍も良かったと思うのである。
  • 繰り返しになるが、この批評性のあるなしこそが、読み替え演出のキモであると私は思っているので、その強度が高ければ、台本の結末をいじってしまおうが何だろうが、まるで気にならない。登場人物がスーツを着ていたり、女の裸が出てくることが、いわゆる読み替え演出ではないのだ(後者は歓迎する・笑)。
  • さて、音楽のほうである。バレンボイムは、音楽を分厚く分厚く作ろうとするばかりで、音楽のキモであると私が思っている濃淡やら揺れ動きと云うものがまるでなかった。バレンボイムのやっている表情づけと云うのは、ステレオのつまみを回すのと同じで、つまり、音のヴォリュームの上げ下げでしかない。だから何処を取っても、奏でられる音楽はうねることがなく、のっぺりとしていて緊張感がなく、こちらの睡魔を大いに誘うのである。
  • このオペラのキモのである合唱団は、残念ながらメチャメチャ巧いと云うほどではないが(例えば第二幕の冒頭から「はや40日!」までは、もっとズキズキくるものでなければならないと思うのだ。これはバレンボイムのぺったりとした音づくりの所為かも知れないが)、さすがにそれなりの水準は維持している。オーケストラは、指揮者が変わると良い音を出すかも知れない。
  • モーゼを朗誦したジークフリート・フォーゲルはさすがに素晴らしかった。アロンを歌ったトーマス・モーザーは、まぁまぁ、あんなものであろう。
  • ムスバッハとバレンボイムは、どうやら私の肌に合わないと、つくづく確信して、万雷の拍手*4のなか、さっさと会場を抜け出て、電車に飛び乗る。姑のことがあるので、新幹線に乗り、帰路。
  • ちなみに、今日いちばん心を動かされたのは、前川國男の設計による「東京文化会館」の建物そのものだった。建物のなかの壁の角度など、本当に美しかった。
  • 柚子と再会。義姉と姪が泊まりにきている。姑は、薬を呑んで、もう眠っていた。

*1:http://www.nbs.or.jp/berlin2007/detail03_story.html

*2:http://us.movies1.yimg.com/movies.yahoo.com/images/hv/photo/movie_pix/warner_brothers/the_matrix__reloaded/hugo_weaving/matrix3.jpg

*3:ちなみに『マトリックス』は1999年、『マトリックス・リローデッド』は2003年の映画で、このムスバッハの舞台は初演が2004年。

*4:演出には僅かながら「ぶー」も出ていたが、バレンボイムへは温かい拍手があるばかりなのは何故だ!? 私が出て行ったあとは日本公演大成功の鏡割りがあったそうで(笑)。