『カラマーゾフの兄弟』をみる

  • 雪組の『カラマーゾフの兄弟*1をシアタードラマシティでみる。
  • きのうの夜、眠りに眠り、しかも私が開演時間を勘違いしていて、少し遅れてしまう。だがこれは今年の宝塚の舞台では、断トツの出来なのではないか(ドストエフスキーだから褒めてる、とか思われたりするんだろうか。そう云う奴こそ権威に盲従してるのだ! 荻田浩一の最後の宝塚での仕事になった『ソロモンの指輪』と正塚晴彦の『マリポーサの花』も良かったけれど。あ、これも雪組だった)。
  • カラマーゾフの兄弟』からはさまざまなものが抽出できるが、濃厚なメロドラマとしてのそれが巧く引き出されて再構成されていて、正直、あの『ヴィンターガルデン』の齋藤吉正の作・演出とは信じられないほど、よい出来だった*2。また、端役に至るまで皆大変な熱演だった。メインのキャストでは特に、グルーシェニカの白羽ゆり、イワンの彩吹真央が実に素晴らしかったが、しかしやっぱり未来優希のフョードル・カラマーゾフが、めちゃくちゃ良かった。しかし、これほどの完成度なら、大劇場で演ってくれたら、もっと何度も見に行くことができたのに、残念。大変満足して、劇場を出る。しかし、「大審問官」の章をどう処理するのかちょっと興味があったが、そいつがテロルの結社の名前で、しかも「♪大審問官!大審問官!」と唄いまくるとは、すっかりやられた。堂島でトンカツを食べて、タワーレコードに寄る。B・A・ツィンマーマンの新録音が出ていたので購入する。よく考えたら、「私は振り返り、太陽の下で行われた総ての不正を見た」のテクストには『カラマーゾフの兄弟』から引用されているのだった。
  • そのまま私はアルバイトに。

*1:http://kageki.hankyu.co.jp/revue/backnumber/08/snow_dc_karamazofu/index.html

*2:まだ柚子とおつき合いを始める前の頃。バウホールで、ふたりでこの舞台をみて、宝塚を見始めたばかりだった私は、生徒さんたちの熱演と、演出家の杜撰すぎるストーリィ・テリングの術および舞台の空間づくりに引用してくるイメージの貧困さのギャップに、頭が痛くなるような、腹を抱えて笑いたくなるような気持ちになったものだった。それ以降、齋藤の舞台はずっと敬遠していたのだけれど、あれからずいぶん経って、かなりよくなっていた。いや寧ろ、ドストエフスキーくらいの最強の骨組を与えておけば、さすがの斎藤でも迷走することができないと云うことなのかも知れないが、ならば今後、原作つきの文藝路線を歩まれることを強くお薦めしたい。