『2046』と『エリート・スクワッド』をみる。

  • 昼、DVDでようやく王家衛の『2046』をみる。光を吸い取って呼吸する、この暗い緑と赤と、鈍い黄金の情緒を私は愛するが、しかしこれはただの視覚のフェティッシュである。
  • 「2046」に表徴されている『欲望の翼』や『花様年華』という甘美なフィルムの記憶から、いちばん逃れたかったのは「2047」にいる王家衛自身なのだろう。そして、『2046』でそれはよく成し遂げられたのかと云えば、やはり失敗だったろう。むしろ、どれだけ雁字搦めになっているのかが、よりはっきりとみえるようになったという点で、しかし『2046』はやはり、撮られるしかなかった映画なのだ。だから、この映画を不幸せな映画ということはできない。
  • 西洋人のそれとは違う、東洋人の男が纏うスーツの美しさをきちんとつくりだしているのにはほれぼれするが、何より、章子怡に施されたメイキャップが、とても鮮烈に、彼女が演じるバイ・リンという女を縁取っていて素晴らしかった。
  • ふと、開高健の『輝ける闇』(あの小説で、路地や床はつねに「ビシャビシャ」に濡れているのだった)を王家衛が撮ったらすごくよいのじゃないかと夢想した。
  • そのままDVDで、ジョゼ・パジーリャの『エリート・スクワッド』と『エリート・スクワッド2』をみる。『1』のほうは軍警察の腐敗っぷりに、特殊部隊「BOPE」を志願してきたふたりの警官と、「BOPE」での激務に誇りを感じながら、過重なストレスで妻との関係を崩壊させてゆく少佐が軸になっている。ふたりの警官のうちのひとりは、貧困層の出身で弁護士を目指して、富裕層の子弟が通う大学で勉強しながら警官を続けているが、フーコーの権力論を論じていた彼が、最後は、スラム街でドラッグのディーラーの頭をショットガンで吹っ飛ばす。俳優たちが皆とてもそれらしい顔つきをしているのがよい。
  • 『2』では「BOPE」によるスラム街の浄化作戦が進むことで、ヤクザから上前を撥ねることができなくなった軍警察の安月給の警官が、スラム街のインフラがカネになることに気づき、自警団という名の集金装置をこしらえて、インフラの設備やら、住民の一票を選挙前の政治家に売りつけるなどで、私服を肥やすことを始める。『1』の少佐は公安局に栄転しているのだが、やがて、自身の信じる正義(「BOPE」による腐敗の一掃)が新しい腐敗を生んでいることを知る。システムには司令部はなく、ただシステムとしてシステムを生き延びさせるために活動する、というような少佐のモノローグが入るが、これが『2』に於ける最大の「敵」なのである。
  • 『1』も『2』も、現在から語り始めて、其処に繋がる過去のことをまとめて語り、そして再び現在に戻るという話法は同じ。決して洗練されているというのではないが、圧縮(登場人物たちの姿形も含めて)の語り口は豪快。ちょっと深作欣二の『県警対組織暴力』のような手ざわりだが、深作よりパジーリャのほうがシステムとか権力というものへの絶望は浅い(リアリストである、ということもできるだろう)。
  • 『2』では「BOPE」はFALのパラトルーパータイプを装備しているが、どうやら実際の装備にあわせたようである。FALはとても美しい。