• つまらなかった映画のことはどんどん忘れてゆく。夜道を歩きながら、数カ月前にじっくり見たはずのジュスティーヌ・トリエの映画のことを思い出そうとしてみるが、思い出せるのは、ほんのちょっとのショットとか音だけだ。ノーランだって『オッペンハイマー』をひっくるめて『TENET』しか思い出さない。『TENET』については、何か書いてもいいかもしれない。
  • 先日の展示を見たあとで、慌てて古本屋から取り寄せた中原佑介の『ブランクーシ』をつまみ食いしていると、こんな一節が。「《無限柱》はここでは上方だけでなく、下方に向かっても無限であるとして眺められている。いわば垂直方向の絶対性が示されているとでもいえようか。このように見るアンドレが、一九六六年以来水平性の絶対性を示すかのように、地面に接してひろがる作品をつくりつづけてきたのは、ブランクーシの《無限柱》ときわめて対比的である。「私のおこなっている一切は、ブランクーシの《無限柱》を空中に立てる替わりに地上に置いているのだ」とはアンドレの言葉である」。垂直から水平への「跳躍」。