ゲルハルト・リヒター《14 Panes of Glass for Toyoshima, dedicated to futility》をみる

  • はっと眼が醒める。まだ朝六時。慌てて風呂に入り、食堂で朝食を摂ってからチェックアウトして、八時発の船に乗って豊島。船で島に渡ることじだい初めてだったのではないか。三〇分ほどで着く。白い犬が桟橋に二頭、迎えに出ている。
  • 花が咲いている小さな菜園の間を蛇行しながら、おとついは雨だったのか地面は少しぬかるんでいるが靴がめり込むほどではなく、表面だけがぬらりと光っている道を昇ってゆく。しばらく歩くと、もう竹林のなかに入っている。鋼柱で斜面に支えられた、大きなカメラ・オブスキュラのような箱が桟橋のほうに突き出しているのが、いきなり左手に見える。どうやらそちらに行くこともできそう。しかし道の先に、土を削ってしつらえられた石の段もみえるので、そちらを選んで進んでゆく。階段を昇ってゆくと左手に、先ほどの、水平に組み合わされた木のパネルで覆われた靴箱のような建物が、朝陽に溶け込むことを望んでいるようすで、竹林のカーテンの向こうに建っている。石段を昇りきると、建物のほうに折れる短い道。その左側だけに、蝋石のような、白っぽい石で組まれたベンチが、ふたつくっつけて据えられている。道の先は再び階段だが、こんどは少し下る。建物の正面に来る。木の段がついていて、それを昇って、板張りのデッキが床。建物の入口の壁面は、ガラス貼りである。真ん中が銀色の金属枠で縁取られたドアになっていて、枠の右向こうのガラス板の下のほうに、「Gerhard Richter 14 Panes of Glass for Toyoshima, dedicated to futility」とある。中には入ると、床はつるりとした、ところどころ刷毛目の残る、グレイのコンクリート
  • 一〇時前の土生に帰る船は見送って、けっきょく次の(そして最終便)一八時前の便まで、ずっと島のなかにいる。宿泊所のひとたちにとても親切にしてもらう。島をぶらぶら散歩したり、蝋石のベンチで昼寝したり本を読んだりしたが、ほとんどの時間を、ぼーっとリヒターのガラス作品の前で、メモを取ったり写真を撮ったり、それ以上に光とイメージがちらちらするのを、ガラスの間に小さな虹が挿したりするのを、ひたすら眺めていた。7時間ほどの映画をみることは可能だ。その同じ時間を、並べられたガラスをみているというのは、どういうことなのか、何をしているのか。ときどき、虫が海へ向いたガラスに追突してくる。
  • 桟橋に誰もいなかったらそのまま行っちゃうときもあるよと宿泊所のひとたちから教わっていたので、時刻表の時間より十分ほど早くリヒターの建物を出て、彼らに挨拶をして、坂道を下りる。あれだけだらだらみていたのに、まだみていたい、名残惜しいと思いながら、船に乗る。
  • 船の中では宿泊所で働いているおばさんと駄弁る。船と橋と就職の決まった息子さんの話。おばさんは次の港で降りる。
  • 土生の船着場に着くとすぐ走り出して、一八時半発の福山行のバスにぎりぎり飛び乗る。再び鈍行で帰路。