艶っぽい相撲取りとオペラ作家としてのヘーゲル

  • 街を歩いていたら、路地の奥からぬっと相撲取りが現れた。和服姿で私の前を歩いてゆく彼からは、風呂上がりなのだろうか、天花粉の清潔な匂いが漂っていた。
  • 百貨店の一階には、たいてい化粧品の店が並んでいて、いつも女たちでいっぱいだ。子どもの頃から百貨店が好きで、親によく連れて行ってもらったのだが、無数の白粉と香水の匂いが滅茶苦茶に入り混じったあの空気がどうにも苦手で、いつも鼻を押さえて顔を顰めていた。いつの間にかあの匂いを、寧ろ好ましい悪臭だと感じるようになっているのを、ふと発見した。
  • 百円均一の中古ヴィデオの棚の中で、ロブ・ライナーの『プリンセス・ブライド・ストーリー』を見つけて求める。
  • 栗原隆の『ヘーゲル』を読み終わる。小著だが、ヘーゲル哲学のしなやかさがよく描かれている。ニーチェの、ハイデガーの、構造主義者たちの、いわゆる「神の死」のあとのあらゆる西欧哲学が、ヘーゲルに準備されていることがよく判る。死にすら至る否定の強烈な作用を、真摯な詐術とも云うべき思考で、そのパワーは維持したまま肯定に転ずる若きヘーゲル弁証法哲学の面白さよ。
  • 栗原によれば、

常識だと思い込んでいる狭量な認識に固執したり、自分の個人的な感覚を絶対化したりして、自らの判断に矛盾を感じない単一な音調に、ヘーゲルは価値を認めない。それは、きわめて素朴で低次元な無媒介的な統一でしかない。むしろ、対立し合う要素を考慮しつつ、自らの限界や弱点を自覚した上で、これを生かすようにもってゆくからこそ、調和なのであって、こうした統一的な把握ができるのは(日常的な認識である悟性や感性的な認識では無理で・引用者註)「思弁」だという。

  • 単一な音調はいかなる矛盾も含まないが価値もないと断じ、矛盾する無数の要素の調和こそをもくろむヘーゲルヘーゲル哲学とは、オペラだったのだ。
  • 新宮一成の『ラカン精神分析』を読み始める。
  • 零時就寝。既に蒲団の中の柚子。寝惚けている御様子で、「野生のヤキトリがね(うにゃむにゃむにゃ・聴取不能)……」と話してくれる(笑)。