『エレニの旅』を観た。

  • 試写でテオ・アンゲロプロスの『エレニの旅』*1を観た。まるで、ブリューゲルの描いた農村の絵の中で、アウグスト・ザンダーが撮った20世紀の人びとが動いているようだった。
  • 冒頭の長いワン・ショット。霧の立ち込める、何もない痩せた土地。手前には河面が見える。画面の奥から、静かに、疲労を全身から滲ませながら歩いてくる一群の人びと。その先頭には中年の夫婦と、幼い男の子と女の子。彼らは、ロシア革命の戦渦を逃れて、オデッサから逃げ延びてきたギリシア系の難民たちだ。やがて、彼らは河岸に辿り着く。もうこのシーンだけで、私は涙が滲むのを抑えられなかった。
  • 少女は、内戦で両親を失い、故地ギリシアに逃れる彼らに拾われた孤児で、エレニと名づけられた。兄妹同然に育った少年と、彼女は愛し合っている。だが、彼女の育ての親であり少年の実父は、妻を亡くしてから、美しく育ったエレニを愛するようになってしまう。
  • 結婚式の日、エレニは純白の婚礼の衣装のまま、少年と村から逃げ出す。村人の追っ手が迫るなか、彼らの逃避行を助けてくれたのは、結婚式に呼ばれていた楽士たちだった。やがて、アコーディオンを素晴らしく奏でる少年は、楽士たちのバンドに加わり、エレニと彼との生活が始まる。だが、音楽と笑いに満ち充ちた愉しく美しい毎日は短く、社会主義ファシズムが人びとの希望であった時代に埋め込まれたエレニの人生は、愛する者を失い続ける悲痛な涙で埋め尽くされてゆく……。
  • 例えばベルトルッチなら、同じ素材でグランド・オペラのような女性映画を撮ったに違いない(それはそれで観たいけど・笑)。だが、アンゲロプロスは抑えた筆致(カメラワークと編集)で綴ってゆく。だだっ広い場所のあちこちで起こる動きを、ワンカットでうねるように見せてゆく。ひたひた、ひたひた。
  • 難を云えば、上映時間2時50分でもまだ短い(特に後半)。アンゲロプロスの諸作を、つくづく見直したくなった。

*1:『エレニの旅』日本版公式サイト http://www.bowjapan.com/eleni/