ガンダムとゴダール

  • 出社すると事務所の中が、土日の間にすっかり模様替えされていて、それに慣れず非道く気持ちが不安定。ちょうど船酔いのような気分。
  • 夕方から東宝試写室で、ゴダールの『アワーミュージック』*1の試写。何で試写室が満席じゃないんだと軽い怒りを覚えるうちに映画が始まる。
  • この『アワーミュージック』だが、オープニング10分程は、戦争の記録映画や古今東西の戦争映画や北村龍平の映画(映画の神様は何でも観てるんだなぁと、ちょっと関心した)等々から無数に引っ張ってきた暴力と殺戮のコラージュ「地獄篇」。それから「煉獄篇」が始まるが、舞台はサラエヴォゴダールゴダールの役で出ていて、サラエヴォで映画の講義をする。ちなみに、ゴダールの声はめちゃめちゃ渋い。20世紀の文化英雄たちの中では、バロウズの声も渋かったが、それを更に上回るエエ声だ。テクノロジーの全面的な使用と市民殺戮で、ボスニア内戦の雛型とも云える南北戦争の写真などを見せながら、訥々と映像の原理を(エエ声で)語るゴダール。やがて学生の大半は老いた映画監督の話に飽きてしまう。「DV撮影は映画を救うと思いますかァ?」と学生から質問され、黙する映画の神様。
  • その講義が終わってから関係者と文学談義(ムージルの名前が出てきた)に花を咲かせていたゴダールの処に、真摯な面持ちで講義を聴いていた若い女がやってきて、一枚のDVDを手渡し、観てくださいと云う。
  • そして、第三部の「天国篇」。サラエヴォを離れ、帰郷したゴダールが無数の色あざやかな花々で覆われた庭を丹精していると、家の中で電話が鳴る。扉で頭を強かに打ちつけたりしながら(このシーンで私は『JLG/JLG』で室内テニスに興じていたゴダールの姿を反射的に想起した)電話を取ると、サラエヴォゴダールの通訳をしていた男が話し始める。DVDをゴダールに手渡した女の子が、パレスチナでテロリストに間違えられて、映画館で射殺されたと云う。すると、カメラは美しい花々の咲き誇る庭をひたひたと映し出す。それはやがて、殺された女の子がたどり着いた天国の情景に移行する。天国の入口で座っている検問の兵士の小銃がSIG-550なのは、ゴダールの現在の住処がスイスであることを、ふと想起させる。半裸でビーチバレーに興じている若い男女(女の子のビキニのお尻がぴちぴちしている)など、篠山紀信の「アカルイハダカ」みたいな天国の風景が実にあっけらかんと繰り広げらける。映画の神様は、現在75歳……。
  • この映画、前作の『愛の世紀』もそうだったが、何がスゴイってゴダールの映画なのに、まるで眠気が襲ってこないのだ。私が最初に映画館で観たゴダールの新作は『ヌーヴェル・ヴァーグ』なのだが、そのときはすっかり眠ってしまって、映画を観ながら眠ってしまうと云う経験をしたのは初めてだったこともあり、ゴダールで眠るなんて俺はバカなんぢゃないかと、ちょっぴり真剣に悩んだものである。その後1980〜90年代のゴダールをひと通り観て、『JLG/JLG』以外は全部途中で眠ったので、おれのバカは筋金入りだから仕方がないと諦めた。
  • 昔、久世光彦内田百輭の小説のタイトルは全部「或る日のこと」でもよいと書いていたが、それに倣って云えば、最近のゴダールの映画のタイトルは全部『ゴダールの遺書』でよいと思う。
  • ところで香港ではこの映画、『ゴダール神曲』ってタイトルだそうだ。『ノートルムジーク』で良かったと思うが、何故だかいきなり英訳しちゃった本邦のそれより、よっぽどセンスが良い。
  • そして、ゴダールガンダムは、支那語ではどちらも「高達」と書くそうだ。機動戦士つながり!?

*1:『アワーミュージック』公式サイト http://www.godard.jp/