セレブ妻のユーウツ

  • 姑がクーラーの掃除屋のお試しキャンペーンを頼んだため、夜まで家で過ごすことに。三時から一時間半と云う話だったが掃除屋のデモンストレーションが長くて結局終わったのは七時。朝から出掛けていた柚子と連絡を取り、待ち合わせて映画を観る。
  • それなりに有名だったので御存知の方も多いだろうが、「パリ郊外在住セレブ妻の日々」と云うブログがあった。書き手はデカい会社のぼんぼん社長の若奥様らしく、毎日のやたらと金が掛かった暮らしのあれこれや、狩猟と日曜大工が趣味の暢気な夫のこと、溺愛する愛娘の教育のこと、好きな音楽のこと、過去の恋愛話などを、たくさんの写真入りで綴っていた。
  • 若奥様のプロフィール欄には「シンプルなくらしが好きです」とあった。どんなことを彼女が書いていたかと云えば、《誕生日です!!お友達を招いて朝までホームパーティ。夜明けに、みんなで眺めた朝日が最高にキレイでした!》とか、《子供ができるまではブランド物を買い漁りまくってましたが、最近はやっぱり自然な素材のお洋服や食べ物がいいですね!》とか、そういう他愛ないことばかりだった。ちなみに、自然な食品やら洋服は下手なブランド物よりよっぽど金が掛かることがある。
  • 私自身のことは棚上げして、失礼ながら申し上げれば、若奥様には並外れた構成力や筆力があるわけではないから、決してがっつりと読ませるタイプのブログではなかった。しかし、なるほど掲載されている写真は、新しさはないが派手で綺麗だし、匿名で書いていると云う安心感からか、やはりお嬢様育ちらしい彼女のあっけらかんとした性格が垣間見えて、私には縁のない生活ぶりだが、かわいらしいもんだなとか、さっき少し引用した、夜遊びのあとの朝日の淋しい美しさに就いてなどは、判るなあと思うこともあった。しかし、やはり彼女のそういうあまりの屈託のなさこそが反感も買っていたようで、些細なことから、或る日彼女のブログは「炎上」。どうやら、何がどうなっているのか若奥様はよく判っていなかった様子だが、中傷誹謗の嵐を受けて、結局、彼女はブログを閉じてしまった。いまは亡き彼女のブログのキャッシュが、これである。
  • ……と云うような映画だったと思うのだ、ソフィア・コッポラの『マリー・アントワネット』は。
  • この映画は、だから『マリーちゃんのどきどきヴェルサイユ日記』なのである。ヴェルサイユに訳も判らず連れて来られて、ヴェルサイユから訳も判らず連れ出される、それだけを描いた映画なのである。
  • 嘗て、完全主義者のキューブリックが、18世紀を完璧に再現しようとして、当時の本物の建物や絵画、調度品を借りて『バリー・リンドン』を撮影したとき、さすがの彼も「貴重な美術品をキズモノにしてしまったら……」とジンマシンが身体に出たと云うが、ヴェルサイユ宮殿でロケを敢行したソフィア・コッポラには、たぶんそんなことはなかったのではないか。なぜなら、彼女の撮りたいマリー・アントワネットは、錯綜する歴史の流れが彼女の上で結び合い、重なるような点としての歴史上の重要人物としてではなく、今もそこらじゅうにいるお嬢さまな女の子としてのマリー・アントワネットであるからだ。
  • バリー・リンドン』でも素晴らしい仕事を見せたミレーナ・カネレロによる衣装は、殆ど暴力的なまでにキャンディでカラフルで、とても愉しい。1980年代のスカスカなポップ・ミュージックが全篇を流れるのも悪くなかった。しかし、ソフィア・コッポラには、映画と云うものを構成する力がまるで足りない。彼女の他の作品は未見であるけれども。
  • さて、女子の皆様には評判があまり宜しくないと云うことを先日知ったキルスティン・ダンストだが、やっぱり私は好きなのである、と云うことに、この映画を観て再び気づいた。
  • 映画の影響だろう、角川文庫からシュテファン・ツヴァイクの『マリー・アントワネット』が新訳で出た。岩波文庫のは訳があまりよろしくなかったので、こういう企ては素晴らしい。未読なので読んでみようか。