ノワールな手塚治虫。

  • 潰れてしまった昨日の休みを取り返すべく本日は出掛ける心積もりでいたのだが、やはり出掛けず家で過ごす。
  • 夕方、柚子と近所のスーパーに買物に行く。
  • 畏兄、南波克行氏からメールを頂戴する。来年は遂に吉田喜重磯崎新を美術に起用してリヨンのオペラハウスで演出した『蝶々夫人』が日本でも上演されることや岡田茉莉子の自伝が出ることなどを教えていただく。最近、ぼんやりとだがあれこれと悩むことが多く鬱鬱としてたが、ばしっと喝を入れていただく。感謝。
  • 先日から読み始めた手塚治虫の『どろろ』の残りを一気に読む。私が最初に買った漫画は忘れもしない「恐怖コミックス」版の『ブラック・ジャック』第3巻で、生まれて初めてサインを貰ったクリエイタも手塚治虫だった。
  • 久しぶりに読むと、子供が遊びに飽きたように投げ出される『どろろ』の物語の不吉さにも増して、手塚治虫はやっぱり絵が凄いのである。
  • 壊れた作家が、壊れていない世界を描き出そうとするが、漫画と云う手法そのものが壊れを孕んでいるため、ますます作家の壊れが強調された世界ができあがり、やがてそれに倦んだ作家によって打ち棄てられる。天馬博士とアトムの関係は手塚治虫とその多くの作品のそれを投射していないか? 少なくない未完の作品、唐突に終わる作品、完成した作品さえ同名の夥しいヴァージョンがある、そういうものこそが手塚治虫の作品群である。
  • F大兄から電話があり、少し話す。