"耐死仕様"の『さらば、ベルリン』。

  • 夜になってから柚子と出掛ける。そのまま私ひとりで難波まで出て、スティーブン・ソダーバーグの『さらば、ベルリン*1をやっと観る。
  • タランティーノが『デス・プルーフ』で、'70年代映画の怨霊を現代に引っぱり出してきたように、ソダーバーグは、'50年代映画を召喚する。
  • 成るほど、大きな戦争の終わりこそが生み出す新しい諍いとその悲劇を描くことに於いて、現代の米国を批評すると云う目論見を持つ映画なのかも知れないが、それはたぶんポーズであって、やはり寧ろ、これはタランティーノとロドリゲスのそれに似た、ソダーバーグ(とクルーニー?)の「趣味」映画なのではないか。『デス・プルーフ』がそうであったように、それを撮っている人びと以外、誰もそれを欲していないはずの映画が、しかも素晴らしい映画になっていると云うのは、とても良いことと思うので、断然支持である。
  • さて、ケイト・ブランシェットは『アビエイター』でキャサリン・ヘップバーンを異様なほどの情熱を込めて演じていたが、今回は戦前戦中のドイツ映画の女優のフェイクを、恐ろしいほど見事に演じる。その低く太い声を聴くためだけでも、この映画を観る価値がある。やたらと殴り倒されるジョージ・クルーニーだが、その殴られ具合こそが、如何にも往時の男優らしく見えるのが素敵である。トビー・マグアイアの不気味な坊やぶりが印象に残る。
  • ありとあらゆる映画がぶち込まれているが、あの『ヨーロッパの解放』から「ベルリン大攻防戦」の地下鉄さえチラリと登場するのには悶絶した。