指輪を失くす。。。。。

  • 朝いちばんでDVDを返却に。帰宅してポチポチと書き物。
  • 午後遅くから出掛けて鶴橋に。注文した古本を「楽人館」で引き取り、ついでに徒歩で上本町に。「天地書房」のなかで、ふと、左手の薬指に違和感を覚える。すぅすぅするのだ。見ると、結婚指輪がない。ずっと左手の指の付け根のあたりで鞄の持ち手を握っていたので、何処かで抜け落ちたみたいだ。さすがに捜すあてなく、諦める。決して高価な指輪ではなかったけれど、この頃ちょっと、どうかしている。よっぽど気をつけなきゃならない。
  • ……本を例に考えてみると判りやすいと思うのだが、大抵の本は、読み破られまいとしている。読み手のこちらは、読み破ってやると挑んでゆく。その攻防の面白さが、読書の愉楽だ。その繰り返しで、こちらの読み破る力も強くなってゆくし、そうするうちに、読み破られまいとする力の強い本の方に、自然と向いてゆくようになる。いわゆる古典を読むのが愉しいのは、そうとう噛み付かなければ、向こうがボロボロと崩れることがないからだ。崩れた、と思って満足していると、さらに奥にも防塁が築かれている、と云うようなことがたびたび起こるのが古典だ。じぶんの歯に硬すぎ、胃で溶かし切れぬものを、食道の幅に合わせて小さく切り刻み、残りを棄てて、嚥下するのではなく、凝っと対決し続けること。そういう経験を経たことのないひとの作るものが、勁いものになるはずがないと、私は思う。天才でない限り。