純粋持続。

  • 昼、カレーを食べるつもりだったが、素麺を茹でて食べる。何だか柚子が作るときより、麺が固い*1
  • ルイジ・ノーノの、「テューバとライヴ・エレクトロニクスのための」と記された「Post-Prae-Ludium Per Donau」と云う曲を、二階の階段の脇の自室で掛けっぱなしにして一階に下りると、安普請が功を奏しているのかどうだか判らないが、ちょうど拙宅全体がスピーカーになって、音の発する源が何処だか判らなくなったような、ぼやけたようなふうになり、家全体から、うぉんうぉんと鳴り響いているように聴こえるのだが、それがとても面白いのだ。
  • 金森修の『ベルクソン』を読了する。
  • 小さな本だが、ベルクソンの「純粋持続」なる概念に焦点を絞り、これをごく平明な言葉で解いてゆく。読後は、すぐにでも『時間と自由』の第二章からベルクソンを読まなければ!と云う気持ちになるのだから、入門書としては優れている。そのなかの一文。

なにか本当に新しいものが生まれるという可能性が、まったく排除されているような時間の流れはない。ちょうど、生物進化をひっぱっていく生命の力が、〈生命の弾み〉(êlan de vie)であったように。弾みは、榴散弾のように、ほぼ計算不可能な弾道を描く。予想できないということ、どうなるかわからないということ、それは生命の成り行きであり、同時に自由の発現そのものでもある。

  • 創作すること、批評すること、美を美であると認識し、それと遭遇することを諦めないために。

*1:あとで柚子に訊いたら、いちど沸騰したら「差し水」と云うのをするんだとか。やっぱり素麺は難しい。