周星馳の『ミラクル7号』を観る。

  • 映画館。ココリコの田中直樹がいる。ゴダールの『愛の世紀』が上映される。スクリーンの中央に、矩形の青い光がずっと映しだされていて、それが不規則に明滅したり、ブレたりするだけの映画だが、なかなかいいなあ、と思いながら、私は画面を見つめている。
  • けさ、見た夢である。
  • もちろん、ゴダールの『愛の世紀』はこんな映画ではないし、ココリコ田中も関係ない。何なんだ!?
  • ようやく「space×drama2008 劇評ブログ」*1に、『しまうまの毛』の批評を書き終えて、推敲もやりだしたらキリがないのは判っているので早々にアップしてしまう。他の方が書かれたものは、さっきまで読まないようにしてきたけど、そもそも、こんなダラダラ書いてるの、私だけじゃないか……。読まないでいた理由は、意見を左右されるとかそんなことではなくて、凡夫である私がダラダラ書くようなことは、他のひとがズバッと見事な表現で云っている可能性が高いので、そんなのを見ると書く気が失せてしまうからと云う、それだけの理由である。また、7月3日の私の日記にも同じものを今更追記してあるので、exciteのブログは何だか判らないけど妙に読みにくい方(私です・笑)は、そちらを。
  • しかし、これを書きながら、私はやっぱり、演劇は好きじゃないのかも知れない、と思った。佐々木敦氏が以前、昔は、人間が目の前にいるから演劇が嫌いで、人間が目の前にいないから映画が好きだったけど、今は同じ理由で、好きと嫌いが逆転した、と云っていたが、私は寧ろ、昔は演劇が好きだったけれど、最近はかなり嫌いになっていて、それは単純に、昨年末のチェルフィッチュの大阪公演を見て以来ずっと、スゴイと心底から思える舞台に出会っていないからだけなのかも知れないが、そもそも、映画や書籍に比べると、私が舞台に接する機会は、劇的に少ない。或る程度の数も当らないと、よい作品にめぐり合えないのは勿論なのだが、その確率を向上させるためのアンテナも、演劇に関しては、殆どすっかり錆びついたままだ。
  • 今回、劇評を書かせてもらうために初めてその舞台を見た「突劇金魚」は、最近の関西小劇団の世界ではかなり話題になっているそうなのだが、私は全然知らなかった。そもそも私は関西の演劇の世界とまるで無関係に暮らしていて、私の知っている関西演劇界とは、某劇団主宰と、別の某劇団の女優のTさんと、止せばいいのに舞台もやりたがる映画監督のことに他ならない。
  • この「劇評ブログ」には、ざざっとその書き手を眺めても、いわゆる劇団、劇場関係者の方や、関西の小劇団を見るのがお好きだと云う方が並んでいて、そのなかでは明らかに私だけが異質だ。書いてみないかと誘ってくれたのはさっきのTさんなのだが、じぶんの「目」で選んでいるもの以外も見なきゃいけないなと思っているので(何故なら、ものすごい傑作にも、ものすごい駄作にも、じふんが長い間を掛けて培ってきた「目」だけに頼っていると、出会う機会を逸する可能性があるからだ。しかし、実際には、じぶんの「目」が捉えたもの以外の何かを見る機会は殆ど訪れない)今回のような機会を与えてくれたことは、実は結構感謝している。
  • 書き終えると、猛烈に映画が観たくなる。やっぱり私は、アニメ(特に私はTVアニメを見ることがすっかりできなくなった。長すぎるのだ。今も新作をキチンとチェックしているU君や某劇団主宰や某映画監督やF大兄などを見ていると、つくづくエライなぁと思う)ではなく、演劇ではなく、映画だ。
  • 仕事を終えた柚子と隣町で待ち合わせて、いつものスパゲティ屋で夕食をとり、本屋に寄り、それから私独りで梅田に出て、「ブルク7」でチャウ・シンチーの新作『ミラクル7号』をようやく観る。