『貴族の巣』をみる

  • 昼起きてから、『題名のない音楽会』が黛敏郎を特集し、片山杜秀が出るのでヴィデオに録ってみる。ずっとみていなかったので、司会が佐渡裕になっていたのも初めて知る。このひとでは、まったくつまらんなあ。片山杜秀だけが活き活きとしていた……。
  • 「しま」はさすがに、まだお腹に力が入らないのか、ずいぶんかぼそい鳴き声。
  • 夕方、柚子がミートソースを作ったのでパスタを茹でて、ふたりで遅い昼食。
  • それから独りで出かけ、シネ・ヌーヴォで、アンドレイ・コンチャロフスキーの『貴族の巣』をみる。
  • すっかり焼けて褪色したフィルムだが、とても素晴らしい映画だった。画面には常に、植物をはじめとする、ふわふわしたもの、揺れるもの、はかないもの、脆いもの、しぐさ、風や水や炎など、何かを媒介にしなければみえないものばかりが映っている。突如、ロシア的とでも云うべきか、哄笑と暴力が巻き起るが、それも笑いと酔いのなかに紛れる。全篇、無力なものばかりで作られた映画だった。寧ろ、映画とは無力そのものと云うべきなのか。傑作。石上純也がこの映画をベストに挙げていたはずだか、それはとてもよく判る。
  • 行き帰りの電車のなかでゴードンの『マクルーハン』を読む。