ぽつぽつと。

  • 昼過ぎごそごそと起きだして、ミュライユの《ゴンドワナ》などの大オーケストラのための曲が入ったCDを聴き、H監督の新作芝居の台本を再読。
  • 洗濯物を取り込んでから、電車に乗って、摂津本山駅まで。
  • 駅前のマクドナルドでH監督と会って、台本の細部に関する私見を申し上げる。そのH監督の新しい舞台『the KISS,Grants a Name.(to you):とはずがたりのマリア』は、3月5日から3月8日まで、大阪市立芸術創造館にて上演される*1。かなり気合が入っているので、ぜひ。
  • 稽古に向かうH監督と別れ、会社員だったころ、仕事帰りとか仕事をサボって時折覗いていた「古本市場」へ行くと、もう潰れてツタヤになっていた……。
  • 夕方からアルバイト。きょうも先月まで担当していた別のお客さんがきてくれていた。彼女は、愈々これからがひと勝負なので、どうか積み重ねてきたものが十全に発揮できるようにと祈るばかり。
  • 帰宅して、柚子とご飯を食べて、少し眠る。起きだして書き物をしながら(さっぱり進まず)、けっきょく、ミカエル・レヴィナスの弾く《平均律》のCDの二枚目(BWV859から869まで)を、ずっと聴いている。やはり、とてもいい。
  • 福田和也が、「中野重治は好きな作家だ。好きな作家と云うのは、どうも気楽にすぎるけれど、つまりは畏怖と強い関心を抱きながら、時に、そのページを繰らずにはいられない作家である。(……)凄いところはいくらもあって、迂闊に引けばその威を借りることになってしまいそうな凄い文章が中野の書いたものにはたくさんある」と書いていて(『en-taxi』のプロレタリア文学特集のなかの文だったと思って取り寄せたがそうではなくて、ずっと以前の、既に『俺はあやまらない』に入っている、大竹伸朗に就いて描いている文だった)、こういう脆さみたいな、殆ど弱さと云ってしまっていいような繊細さを抱えて書いているから、福田和也は、どんなものをどれだけ書き飛ばしていても、文藝に関する批評家としては(彼が下す諸々の評価への賛否ではなく、その手つき)、けっきょくいちばん信用できる。
  • 柚子の目覚ましが鳴り、「しま」が起きだしてきて、CDや文庫本で詰まった段ボール箱の角で爪研ぎをするバリバリバリバリと云う音が大きく響いて(なので、毎日聴きなれたのと同じ物音とは認知できなくて)、それはそのままレヴィナスの弾くバッハの音と重なって、とても、はっとする。五時五五分。