朝五時五五分から

  • 昨晩の洗い物を片づけ、回収日だったので空き缶やらペットボトルを棄てに行き、柚子を見送ってから蒲団に入り、中野重治芥川龍之介に就いて書いている「小さい回想」を読み、そして、「閏二月二十九日」と題された、二・二六事件の真只中で書かれている(「私は銃声には割りに慣れている。私は戸山ガ原近くに住んでいる。しかもそれも条件つきでだ。一昨日の真夜なか遠くで聞えたやつには注意を引かれた。」で始まる。これに続けて短いが、戒厳令下の情況の見えなさとその不安や緊張感の描写も見事)文を読む。この文では、小林秀雄(と横光利一)が大変厳しく批判されている。中野は、「わけのわかるもの、論理的に辿れるもの、論証されるもの、「常識的」なものをさえ私はかかげたい」が、彼らにはそれらがまるで欠けているのであると書く。今、小林秀雄を読み、論じるとき、大抵、彼は「常識」を最大の武器としてその批評をかたちづくった文人であると捉えることが多いが、「常識」こそが、小林には欠けているのだとする中野の批判は面白い。「しま」がやってきて、いきなり私の手に齧りつく。痛い。続いて、「批評家と作家との間のギャップということ」を読んでいるうちに眠ってしまう。
  • 昼過ぎに起きてから、その続きを読む。今と同じようなくだらないことが当時(昭和11年)も「問題」として論じられていたことが判るが、くだらないことからも実に見事なものの捉えかたを引きだしてくる中野重治の文には、大変な力がある。
  • ところで、人生訓を求めて読まれる本と云うのがあるのだと思う。ならば、内田樹より吉本隆明よりずっとずっと、田村隆一の『ぼくの人生案内』をお薦めする。言葉を書くときそれをどういうふうに使うかとか、借金で頭が廻らなくなって(首が廻らなくなると云うより、思考が停止してしまうので)参ったときも、女性関係がちょっとごたついたときも、就職のときも、全部この本で解決した。つまり、大変効果的な人生の手引書であり、しかも、他の類書に比べて、圧倒的に言葉が美しい。私が持っているのは小学館版のほう。
  • 柚子が作ったミートソースを温めて、スパゲティを茹でて食べ、洗濯機を廻し洗濯物を干し、夕方からアルバイト。
  • 帰宅してから、U君とserico嬢と『罪神』打ち合わせをほんの少し。
  • 真夜中ずっと、トリスタン・ミュライユの《記憶/浸食》や《空間の流れ》など、七〇年代の作品ばかりが収められたCDを聴いている。好きである。
  • なお、広島(福山)の「MONDO CAFE」*1さんでも『アラザル』(vol.2、vol.3)の発売が始まったそうです。中国地方初! どうぞ宜しくお願い致します。