鶯が鳴いている

  • 朝起きて風呂に入り、『シネキャピタル』を読んでいると、窓の外から鶯が鳴くのが聞える。たっぷりと雄弁な沈黙ののち、鶯が囀る。たびたび繰り返されるそれを、耳を欹てて、じっと、聴いていた。
  • 洗濯機を廻し、洗濯物をベランダに干す。朝から喉の調子がおかしく、これはどうやら風邪の徴候なので、昼飯を食べて、少し書き物をしてから、午後過ぎから出かけて、三宮の耳鼻咽喉科に。一週間分の薬をどっさり貰ってから、サンパルの古書店(「MANYO」はまだ営業していた)を覗いて、ジュンク堂でぶらつき、帰宅する。雨がぱらぱら降ってくる。
  • 柚子が帰宅してからふたりで晩御飯を食べて、薬を服み、皿洗いをする。
  • 『罪神』サイトのエイプリル・フール版のことで、U君とserico嬢と激しく喧々諤々。しかし甲斐あって、なかなか面白いものに仕上がり、嬉しい(午前四時)。寧ろ真面目なものよりお遊びのほうが、真剣にやらないと、まちがえる。
  • 廣瀬純の『シネキャピタル』を読み終える。かなり面白かった。ドゥルーズの『シネマ』から「1+1=3」としての映画とは、さらに「1=2」としての映画とはどんなものかを「ポジティヴなプロジェクトを通して展開」、抽出し、例えばルビッチの「ひとつのセリフにひとつのショット」は、「シネキャピタル体制のもとで生産手段として機能していた」が、それを小津が「そっくりそのまま革命のための武器として転用」してしまった「恐るべき事実」として読み解く箇所などは、ひたすら圧巻。
  • この映画と資本主義とドゥルーズをめぐる書物では、私たちのきわめて困難な生(「実人生においては非−労働の不可能性がそもそも「生きること」それ自体を貫いている」)を、革命へと向かう力として肯定する(「しかし、この悲劇のただなかにあってもなお、私たちに絶対的な非−労働への権利があることはいささかも揺らがない」)。なぜなら、「「権利」とは「潜勢力」のことにほかならないのだから。」