レンズ豆のスープ、美味。

  • やはり腹の調子はまだ悪いのだが、それはb型の特徴らしく、よくなってゆくとのこと。
  • きょう一日はずっと家から出られないのであるから(ただし、ベランダに出て洗濯物は干して、出たがる「しま」を抱えて、窓辺に坐って外の風にあたった)、ふと、ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』を読む。なかなか胸糞悪い本であるが、それは記述が間違っているとか出鱈目であるとかではなく、云わば、犯罪者の告白本を、被害者が読んでいるという構図に嵌ってしまったからなのである。しかし、アメリカの研究者がカルチュラル・スタディーズ的な手法で、アメリカの日本占領と当時のわが国の諸相を書いた本をわざわざ読む意味は、むしろ其処にしかないだろう。犯行の顛末の語りくちそのものから、彼らが私たちをどういうふうにみているのかが、やがて、隠し切れずくっきりと浮きあがってくる。それは、戦艦ミズーリをいつまでも保存していることをいつか後悔させてやる、艀から甲板に上がってくるのは今度はお前たちだぞ、なんて思ってしまうくらいには(苦笑・しかし、そんなことを考えて現在の日本は構想されていないから、必ず敗ける)、むかつく類いのものだけれど、敗戦から現在に至る日米の奇妙な関係を考えてみるとき、だからと云ってそのじっとりとした「抱擁」をなかったとすることもできない。(だからこそ、江藤淳の批評や、最近なら『臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』の大江健三郎などの文業へは、たびたび立ち返って読みなおされるべきなのである、と思うのだ。彼らはそのあたりに、過剰なくらい敏感だった。)
  • 夕方、柚子が会社から帰る。彼女がレンズ豆と肉のスープをつくる間、あれこれと話をする。今、柚子の考えていること、とか。
  • 絨緞の上で、柚子と「しま」が、おなじような姿勢で眠っている。眠るふたりの輪郭を大きくふちどると、どちらも勾玉のようになる。