エイプリル・フール。

  • 腹もずいぶん落ち着いてきて、すっかりよくなった。昼は、風呂に浸かって温まりつつ、『シュミットとシュトラウス』を面白く読んでいる。

カール・シュミットは政治神学である。「必要なことは唯一つ、それが信念である以上、信じられさえすればいいということ、結局のところ(…)問われているのは、人間の問いではなく、はたして神に従うのか、それとも悪魔に従うのかという人間に関する問いであるということ、そして、政治的なものはこの問いを避けることができない点で究極的に基礎づけられている」。そしてシュトラウスもまたシュミットと同じく「中立化と脱政治化」に断固反対するのであるが、】むしろ、彼はそうした抗議を、政治哲学を問うことで基礎づけている(…)。つまりシュトラウスは、何が正しいのか、義しき生活とは何か、唯一つ必要なものがあるとすると何か、ということを問うという名のもとで、その問いのために、中立化と脱政治化に対して抗議するのである。(…)シュトラウスは、何が正しいのかを問う真剣さを、政治的なものの正当性の根拠と規定する。このことは、一つには、何が正しいのかという問いが立てられなければならない、ということを意味するとともに、もう一つには、そうした問いは、人間理性を手段としてこそ、原則的に、最も根源的な観点において答えることができる、ということを物語っている。

  • 夕方から自転車を漕いでアルバイトへ。駅前の本屋をぶらつき(小山太一による『V.』の新訳や、アシア・ジェバールの邦訳が出ているのをぱらぱらと)帰宅する。空気がずいぶん暖かくなった。
  • 帰宅して、柚子にお好み焼きを焼いてもらって食べる。
  • 福島はヒロシマに通じ、3.11は9.11に通じる、こりゃきっと異邦の諸君も畏れるに違いないよと、夕食の席で悪態をついて柚子の眉を顰めさせたのは数週間前。しかし実際に、福島をフクシマと片仮名がきで記し、「ポスト・フクシマを生きる私たち」とか何とか書いてあるのが出てきたのをみて、思わず失笑する。書かれている内容に対してではない。何かが変わらないわけはないのだから。そうではなくて、ダダ洩れになってしまっている書き手の昂奮に対してである。端的に云って、はしたないのである。