降ってくる。

  • 天気予報のとおり、きょうも朝からずっと雨が降っている。昼過ぎ、降り込められて、電燈はつけないまま、カーテンを引いた窓の隙間からの光だけの薄暗い部屋で、リュビモフの弾くシューベルトの《即興曲》集を聴いてみる。突然或る瞬間があり、ようやくこの演奏の素晴らしさを得心したように思う。それからは音楽が身体の芯へ、静かに染みこんでくるのを感じるようになった。私には、何よりシューベルトが難しく思われる。そのなかへ入ってゆくのに、いや、むしろ実感としてはやはり、音楽がこちらへ開かれてくるのに、時間がかかる。
  • レオス・カラックスの短篇『Sans Titre』をみる*1。大変よい。とても不吉でだからこそ消去し難い夢のような。
  • 雲のような雨の向こうから貫いて、鳥が啼き交わしているのが耳に届いてくる。鳥の名前は判らないが、そのぴんと張りつめた鋭さが心地好い。
  • 夕方、傘をさして自転車に乗り郵便局へ出かけて用事を済ませる。きょうは残念ながら仕事は休み。そのままプールへ行き、クロールで1300メートルを泳ぐ。
  • 帰りに商店街の和菓子屋で桜餅をふたつ買う。雨の勢い、ますます強くなるばかり。
  • 原稿を書かなきゃならないのだが、なぜか福澤諭吉の「丁丑公論」を読み始める。すごく面白い。非常にリズミカルな文章で、一気に読む。その冒頭。

凡そ人として我が思ふ所を施行せんと欲せざる者なし。即ち専制の精神なり。故に専制は今の人類の性と云ふも可なり。人にして然り。政府にして然らざるを得ず。政府の専制は咎む可らざるなり。
政府の専制、咎む可らずと雖も、之を放頓すれば際限あることなし。又、これを防がざる可らず。今、これを防ぐの術は、唯これに抵抗するの一法あるのみ。世界に専制の行はるゝ間は、之に対するに抵抗の精神を要す。其趣は天地の間に火のあらん限りは水の入用なるが如し。(……)抵抗の法、一様ならず、或は文を以てし、或は武を以てし、又、金を以てする者あり。

  • しかし、明治は凄かった!とはよく云われることであるけれど、明治十年の段階で、既に福澤によると、「文明の虚説に欺かれて、抵抗の精神は次第に衰頽するが如し」であり、「無気無力なる世の中に於ては、土民共に政府の勢力に屏息して事の実を云はず、世上に流伝するものは悉皆諂諛妄誕のみにして、嘗て之を咎むる者もなく」だったそうである。
  • 福澤の述べる「間接」または「間接に之を誘導する術」という言葉に興味を覚える。
  • 柚子と晩御飯を食べて、桜餅を食べる。きのう柚子がつくった苺ジャムを詰めた瓶を冷蔵庫から出してきて、ヨーグルトに混ぜて食べる。大変おいしく仕上がっている。
  • 弟と電話で少し話す。その後、F大兄からも電話あり、駄弁る。
  • それから朝まで『アラザル』の原稿を書き進める。