• 録画しておいた『坂道のアポロン』の第二話と『AKB0048』の第一話をみる。『坂道のアポロン』は結城信輝のキャラクタ・デザインはさすがに大変色っぽいが、第一話でも感じたことだが、肝心のジャズのセッションと喧嘩のシーンの、まるで「スウィングしていない」さまが気になる。『AKB0048』はずいぶん面白くなるんじゃないかと思う。
  • 123君に聴かせてもらった口ロロの『マンパワー』のなかの《合唱曲スカイツリー》と《いつかどこかで》に、思わず感動してしまうが、この情動の働きは、いわゆる「演劇」に接した際のそれに酷似している。演劇のための音楽であることとは関係なく、「演劇」と云う営みがこれらの曲を駆動しているのではないか?
  • スピヴァクの『デリダ論』をちんたら読んでいる。ハイデガーに抗してデリダとともにニーチェの可能性を擁護するあたりの読みが面白い。

知への意志をあきらめるのは容易なことではない。デリダが自分は形而上学の閉塞の内部に、しかし同時に外部にいると主張するとき、違いは、彼が少なくともそのことを知っているということにあるのではないだろうか? この問題に対するニーチェの解決の先を行くことは想像しにくい。彼の解決とは、知り、能動的に忘れ、そして彼自身の誤読をテクストの中で説得力をもって提供することだった。