『アンダーグラウンド』をみる

  • 柚子と湊川のパルシネマまで。映画館へゆく途中の、新開地商店街のなかの上崎書店がずいぶんきれいになって店を開けていて驚く。上映時間が迫っていたが、慌てて棚を漁る。それから、エミール・クストリッツァの『アンダーグラウンド』をみる。柚子は初めてみる。ずいぶん前に私は二度ほどみた。そのときもずいぶん感銘を受けたものだが、そのときは映画全篇のガチャガチャとした猥雑さそのものに魅せられていた。もちろんきょうも、全篇に漲る、きわめて洗練された野卑と猥雑に魅了されたのだが、しかしそれ以上に、この映画に充ちるあまりにも濃密な悲哀(と云うことは、それが表現されるありかたの濃厚さに他ならず、この悲哀は、そのようなありかたによってしかよく表現し得ることができないということだ)に、胸が締めつけられるようになった。
  • 靴磨きの布のかわりにされて怒り狂う黒猫が出てくるが、クストリッツァの映画では、人間と、あらゆる動物の間に如何なる区別もない。ファシストはそのまま「豚」なのである。