• 批評って何をしているんだろう。何かについて書いているのは間違いない。でも、何でそんなことしているんだろう。見ただけで、読んだだけで終わらないのは、なぜなのか。これで飯を食っているわけでもない。ときどき頼まれて書くこともあるけれど、概ね資料代で赤になる。
  • とどのつまり、私が見たこと、見えてしまったことを書き留めているんだろう。しかしこの私はここにいるたった独りの「この私」だけのことではない。どの私であっても、これがこう見えるということは納得してもらえると思って書いている。なぜなら私の書いている批評はいわゆるテマティスムだからである。「ほら、この画面のここにはこれがあって、そこにはこれがあって」と、あなたに説明できるので、「この私」に収斂するものではないと思っている。もちろん、そのことをきちんと書き留めたのは「この私」だけど、という気持ちは当然ある。そう考えれば、私にとっての写真もそういうものだ。撮ってるのは私ではなくあのカメラであるが、ここでカメラを持っているのは「この私」である。そして、もうひとつ疑問なのは、どうして私は批評を書くが小説を書かないのだろう。
  • 今朝CDが届いたメルツバウの『NOISMEBRYO』を聴きながらまだ終わらない原稿を書いたり、志ん朝の《芝浜》を聴いたり、やっぱりまだ終わらない原稿を書きながらラジオで「紅白」を聴いてちょいちょいTVの前に走ったり、柚子と年越し蕎麦を食べたり崩れた本の山を積んだり、そんなことをしながら新年。