• 朝の五時過ぎに居間でうたた寝から目が覚めて、蒲団に入って眠るには遅すぎて、風呂に入る。湯船の中で西川直子の『クリステヴァ』の終わりのあたりを読んでいる。触発されつつ、次第に考えが逸れて行って、空っぽの暗がりについて、考えるようになる。それは何もないのではなくて、空っぽの暗がりが、実体として、あるのだ。しかもそれは選び取られたものでもある。うまく回っていない頭の中でそれをめぐる妄いが嵩だけを増しながら出口を失って、とても苦しくなって本を閉じて、浴槽に沈み込む。
  • 帰りの電車の中で、『クリステヴァ』を読み終える。クリステヴァの歩みを、「もろもろの差異からなる体系を産みだす根本的な差異づけ」を行う「棄却」と、この「体系」秩序を破壊しようとして亡霊のように現れる「反復する棄却」の繰り返しとして、その上で、怜悧なテクスト読みであり、女性であり、分析医であるクリステヴァの生活からやってきた思想上の変化も加味して、丁寧に腑分けしている。立ち戻る必要がこれからもあるだろう、とてもいい本だった。
  • ベルチャQのベートーヴェンのボックスから新しい一枚を取り出して、2番と9番を聴いている。9番は本当にかっこいい。