• 帰宅すると東京国立近代美術館の「中平卓馬 火・氾濫」展の図録がようやく届いていた。さすがに立派な出来。
  • 『作業日誌』の1954年7月8日を繰ると、ブレヒトがさっそくオッペンハイマーの「弁明書」を読んでいるのが判る。「彼の文書は、肉の調達を拒否したといって食人種から訴えられた男の書いたものを読むようだ。しかもその男は弁明のために今、人間狩りの最中、湯沸しに使うまきを集めていたと申し立てているわけである。何という暗い谷間!」と書いている。その前日の7日には、「この国は相変らず不気味だ」と書き始め、「文芸部の若い連中」と旅行に行ったとき「突然、もし十年前だったら、この三人はみんな、僕のどんな著作を読んでいたとしても僕が彼らのいるところに姿をあらわしたら、直ちに僕をゲシュタポに引き渡しただろうと、ふと考えた」と書いている。東ベルリンとニューヨークの間の「暗い谷間」にいる晩年のブレヒト
  • 夜、ナンバさんとシノギさんと『オッペンハイマー』について話す。終わると疲れ切って倒れ込むように眠る。
  • 「「核融合」と題されたパートは全部切ってしまってもいい」と言ったが、ナンバさんと話して、あれは「原爆の父」から拒絶された子供の復讐劇なのだと読んでもいいかもしれないと思う。ストロースが結婚式のあとの我が子をオッペンハイマーに紹介しようとするが、にべもない。「水爆の父」になってくれず、グローヴスのような栄光も与えてくれない父への復讐。

  • エンゼルクリームとチョコファッションのカロリーが後者の方が断然高いことを初めて知って驚いた。
  • ハーバーランドのOSシネマズで柚子と待ち合せて『オッペンハイマー』を見る。私は二度目なのでするすると見ることができるが、悪くはないが非常に面白いというわけでもないという評価自体は変わらず。

  • ベンハミン・ラバトゥッツの『恐るべき緑』を読み終える。エピローグの「夜の庭師」がくっついていることをどう評価するかだと思うが、これがあるから独特の印象を残す「歴史」についての(語り方も含め)小説になっていると思った。

  • ノーランの『TENET』をAmazonのプライムビデオで再見する。操車場の、上りと下りで貨車が行き交う間で、CIAがロシアのマフィアに拷問されているシークェンスは本当に素晴らしい。これをずっと見せてくれるだけでいいのに。それをやる胆力も覚悟もノーランは持ち合わせていないので、細切れにして繋いで、派手な音で、大きな画面で上映して、これこそが映画の体験だと嘯くのだ。『TENET』は、ノーランの良さも駄目さも全部もろに出ている映画で、だから今のところノーランでいちばんいい映画だと思うのだが、それは設定そのものが小細工のきわみで、小手先の編集ごときでは逃げられない制約のゆえだろう。もちろん、デジタルカメラで撮ることが当たり前になって、ワンショットの長回しなんか何の計画もなしにやれてしまうので、それさえやれば映画ならではの体験が滴り落ちるなんてことは言えない。だからこそ、編集というものの力をどう解き放つかということが、ますます映画において大切になっているのだが、それがノーランのような方向性であるとは決して思えない。

  • 昼前から柚子と新幹線で名古屋まで出かける。ベンハミン・ラバトゥッツの『恐るべき緑』を読み始める。ナゴヤドームSixTONESの《VVS》を見る。松村北斗は『夜明けのすべて』で『すずめの戸締まり』だから、いい声なのだが歌声がいちばんいいと思う。京本大我はときどきごりごりの男の子になるのが面白い。森本慎太郎は何とも言えずいいなと思う瞬間がある。しかし、ずーっとよかったのはジェシーだった。サイリウムも赤だし。ナゴドを出ると雨。

  • 昨日の夜中引っ張り出してきたグリンゴルツ弦楽四重奏団の録音でシェーンベルク弦楽四重奏曲の《3番》と《1番》を聴いている。奏者の息遣いも入っている録音で、とても厳しく力のこもったゴリッとした演奏で、これも大変いい。
  • 朝永振一郎の『鏡の中の物理学』を読み終える。とても面白かった。「いまその、鏡にうつったのがどうとか、フィルムにうつして逆にまわしたらどうとかいうようなことは、それを研究したところで、ほんとうをいうと、それは人間を幸福にもしないし、不幸にもしないわけです。で、科学をこういう面から見るかた、第三の見かたですね、これを忘れないでほしいように思うわけです」。