ダニエル・シュミットを観る盆

  • 追悼の意を込めて、ダニエル・シュミットの『ラ・パロマ』をDVDで観る。画像は決して良くないが、殆どがDVD化されていないシュミットの映画であるから、観ることができないよりはましである(とは云え、もっと美しい画像で再発売されることを強く希望する)。
  • 大変見事な、映画でしかできないことをやっている映画で、ずっと鳴りっぱなしの音楽のチョイスの異様さやレナート・ベルタによる撮影の見事さを含め、観ている間は至福の時間だった。私には、それだけで他に何も云うことはない。しかし、それだけでは手向けとしては味気ないので、もうひとり、シュミットと同様に、オペラと映画から愛されたひとが、嘗てこの映画を評した言葉を引いておこう。故・三谷礼二のそれである*1

もともと時間と空間を自由にキリハリできる映画と、音楽がもたらす想像力を時間と空間にモンタージュし得るオペラの、「音楽」と「映像」における近接性は明らかなのである。
それをひとつの”気分”の中に醸成するのに、シュミットの構図のバランス感、カットの積み重ねの音楽的流動性、そして旧欧州的体臭は役立っているし、その気分の中でこそ彼の神話性は、因果律のないメロドラマとして、ひとつの”夢”たり得るのだ。

  • 何も付け加えることもないし、私はこんなに見事にこの映画を評することもできない。それでもちょっとだけ付け加えるなら、この映画の主人公である青年貴族のイジドールを演じるペーター・カーンほど、ただ座っているだけで貴族の高貴さを表現することができる役者など、そうはいないだろう。世紀末の王ルートヴィヒ二世とは、きっとこのような人物だったろうと思わせる*2
  • ヴィスコンティトーマス・マンの『魔の山』を映画化する夢を抱いていたそうだが、その任には、ダニエル・シュミットこそが適していただろう。もちろん、これもまた夢で終わったわけだけれども。
  • 「面白いので読め」と弟が云うので借りた若杉公徳の漫画『デトロイト・メタル・シティ』を読む。或る種のクラーク・ケント物。成るほど、これは面白い。

*1:『オペラのように』所収の「『ラ・パロマ』のオペラ性」から引用。

*2:そう云えばハンス・ユルゲン・ジーバーベルクの『ルートヴィヒ二世のためのレクイエム』で実際に演じているんだった。観たいなあ。