ようやく!

  • 事務所を出るとまっすぐ本屋に向かって、佐藤亜紀の待望の新刊『小説のストラテジー』を買い、すぐに読み始める。眩暈がするほど原理主義的かつ優雅な小説・創作・鑑賞論。冒頭の一章を読んだだけで、引用したい考察は山ほど出てくるのだが、取りあえず第一講の最後に置かれた、感動的な一文を。

表現者も、鑑賞者も、固有の歴史的・社会的文脈に捕われています。そればかりは回避しようがない。表現も、解釈と判断も、個々の人間の逃れ難い条件に規定されている。ただ、そうした文化的な条件の下に、ある原始的な条件----おそらくは我々の身体と本能に由来する原始的な条件が確実に作用し続けており、そうした条件が根底から覆されない限り、普遍的な永遠の相というものは、確実に存在する筈です。最大限の振幅を規定する不動の一点、とでも言いますか。もし我々がある作品を別な視点から眺めることになったとしても、得られる快楽は揺るがない----そういうあり方があり得る。もちろんこれは、私個人の信仰告白として受け取っていただいても結構な訳ですが。

  • 午後から梅田に出て、試写で遂に『カポーティ*1を観る。素晴らしい出来。アメリカ文学アンファン・テリブルと呼ばれたカポーティを演じるフィリップ・シーモア・ホフマンの演技の見事さには、感嘆するばかり。撮影はアダム・キンメルと云う初めて聞くひとだが、寒い色がかなり良い。
  • ロシアのインテリの萌えキャラのひとつである聖痴愚と云うフレームで、昭和帝を歴史から切り抜いて造形したポストモダンソクーロフの『太陽』より、私はこの、カポーティと云うどうしようもない個性と人格に、愚直なまでに寄り添った『カポーティ』を高く評価する。
  • 『冷血』と題した久々の傑作を完結させるためには、何度もその眼前に座って会話を交わした殺人犯ペリー・スミスの刑が執行されなければならない。小説を完成させるために、ひとの死をこいねがううち、作家の魂は荒廃してゆく。彼の机の周りにどんどん溜まってゆく、タイプライターから打ち出された原稿の白い束が、まるでそれを徴しているかのようだ。
  • 映画の中でカポーティが着ている美しいスーツの数々を眺めているうち、ああ、久しぶりにスーツが買いたくなる。
  • かっぱ横丁の古本屋をぶらつく。保田與重郎の『日本の橋』が五百円で転がっていたので買い求める。
  • 八時過ぎに事務所を出て、U君の家の近くの駅前で待ち合わせ。そのまま駅前の白木屋に転がり込んで、深夜三時までひたすら駄弁る。もちろん電車はなく、深夜営業の本屋をひやかしてから、彼の家に行く。U君の飼っている牝猫の喉を撫でていると、顔が痩せて萎びて、すっかりおばあちゃんのそれになっているのに驚く。シャワーを借りてから眠る。