建築本を読みたい時期なのだ。

  • 瀧口範子の『行動主義 レム・コールハースドキュメント』を読了。2008年の完成を目指して北京に建設中のCCTV*1のコンペを制し、その実現に向けて動いていた2002年から2003年ごろのコールハースに密着したドキュメントと、コールハースと関わりの深い人びとへのインタヴューから成る本。
  • 常に、彼の活動する世界の外で生きるひとたちと繋がることを欲しているコールハースのOMA/AMOの根のひとつが、彼が実際に足繁く通っていたらしいアンディ・ウォーホルのファクトリィにあることなど、なかなか興味深かった。
  • コールハースは、一見、建築事務所の仕事から逸脱するように見えるリサーチ会社AMOを運営して、消費社会やヨーロッパの政治の渦中に飛び込んで行ったりしていることなどは、「すべては、建築をもっと面白いものとして定義するため」であると云う。建築家が狭い定義のなかに押し込められて「自分たちだけで孤立していることに不満で、イラついていて、その孤立を少しでも解決」しようとしており、「建築家が考え、やることの範囲を拡大しようと努力している」のだと語る。
  • そして、コールハースの最大の協力者のひとりであり、現在最も著名かつ影響力のある構造エンジニア、セシル・バルモント*2は、「あなたとコールハースが一緒に仕事をしている領域で、今求められている知性とはどんなものですか」との瀧口の問いに、こう答えている。

直観にオープンになり、テクノロジーに振り回されないようにすることでしょう。すでに受け入れられているテクノロジーのやり方をそのまま踏襲するのではなく、もはやわれわれに残されているのはテクノロジーしかないのですから、直観を明瞭に表現するためにそのテクノロジーを利用することです。私はいつもそれを求めて仕事をしている。そしてレムも、システムにならうのではなく、革新に対して心を開こうとしている。今日の建築界において、レムの非センチメンタルな性格は大変重要だと思います。彼には何に対するノスタルジアもない。そこがいい。

  • また、伊東豊雄による両義的なコールハース批判も面白い。曰く、現在のコールハースは「99%の建築家がたどっている「かたちを生み出すプロセス」を割愛する」が、その「1工程省いていること、つまり建築的でないというところが、彼の魅力のすべてになっ」ている、と。
  • ところでこの本、私は初版を所持していて、本文の紙に敢えてザラ紙が使われていて面白いのだが、現在本屋に並んでいる第4刷からは、それが少し厚手の普通の上質紙に変更されていた。
  • ヴォルフガング・ティルマンスが撮ったコールハースの肖像写真が良い。その写真が収められているティルマンスの作品集『Portraits』の表紙にも使われている*3
  • バーバラ・W・タックマンの『世紀末のヨーロッパ』を読み始める。
  • 帰宅後、F大兄と電話で話す。
  • 先週、書類選考の後、一次面接を受けた会社から、履歴書と職務経歴書を入れた封筒が返却されてきた。一から出直しである。溜め息をつきながら皿洗い。面接官とは、噛みあっているような、まるで噛みあっていないような、つまらない面接しかできなかったからなぁ……。