『LIFE』と私のライフ

  • バスが東京駅に着き、停車所の真ん前にあるスターバックスでココアを飲み、フレンチトーストを食い(意外に旨い)、たらたらと10時過ぎまで時間を潰して、初台のICC*1に行き、坂本龍一×高谷史郎の『LIFE - fluid, invisible, inaudible ...』*2を見る。
  • 出会い頭に強烈な衝撃を受ける作品と云うのではない。真暗な会場のなかに足を踏み入れると、あれっ!?と拍子抜けするかも知れない。しかし、これはそう云う瞬発力を誇るインスタレーションではない。其処にあるのは、まず、天井から光源と共に吊り下げられた、まるでクラゲのような九基の平べったい透明な水槽であり、水槽には水が満ちていて、水面には、ランダムに発生するらしい霧が漂っている。さらに、水槽を通して床に描かれるゆらゆらとした映像と、スピーカーから響く、オペラ『LIFE』からピックアップされた音楽や人間の声である。
  • 平日の昼間だったので、ひとも少なく、好きな場所に陣取ることができた。地面に座り込んで、床に写しだされる色鮮やかな波紋のような映像を見つめ……ごろりと寝転がって水槽の底に映し出される光源からの映像を仰ぎ見て……水槽の直下で揺らめく映像を浴びて蹲っている女の子の後ろ姿を鑑賞し……うとうとと眠ったり……頭のなかでぶつぶつと考え込んだり……するうちに、二時間半が経っていた。
  • 最低限の仕掛けのなかで、変化し続ける作品に、全身で浸った。
  • このインスタレーションは云うならば、鑑賞者の鏡となる作品であり、そのうち、むくむくと沸き上がるものがあった。だから、私個人としては、かなりよかったのではないかと思う。
  • その他の展示もぐるりと眺めて、ナディッフ*3で柚子の誕生日のためのカードを一枚買ってから、神保町に移動。「キッチン南海」でカツカレー。私はやっぱりヒレカツ定食だな。古本屋や本屋をぶらぶら。
  • 夜、渋谷に移動し、スターバックスで腰を下ろしてから、「BRAINS」*4佐々木敦氏の「批評家養成ギブス」*5に。佐々木氏の「批評私観」が、じっくりと語られる。今読んでいる『(H)EAR』に引き付けて云うならば*6、佐々木氏の批評はコンセプチュアル・アートのそれではなく、サウンド・アートのそれであり、唯物論的とでも云えるだろう。ひとつの例として、批評の営みとは、作品と云うマテリアルに触れて、作り手もすみずみまで理解しているとは決して云うことができない、その作品が持っている可能性をパラフレーズすることであり、さらにそれを、読み手に伝え、批評の読み手が、その作品に触れることを誘引する。だから読み手が、批評文との往還だけで、作品そのものに向かわないと云う事態を、佐々木氏は決して是としない。なるほど、批評はそれ自体で作品として自律(自立)していることも必要であるが、閉塞してしまってもいけない。佐々木氏の批評とは、「外」を強く意識させることを、主にしているように見受けられた。とてもポジティヴな言葉が語られた*7
  • 講義のあとの座談会にも参加。殆どが私より若い方ばかりのようだが、皆なかなか強者ぞろいと云ったふう。
  • 終電で移動し、父の家に泊めて貰う。明日の朝が早いため、寝ないでいると云う父とふたりで『虎の門』を見ながらぽつぽつと、自民党の総裁選や、ものすごく強欲な人間ほど一見、淡泊にみえることなどで駄弁り、夜を明かす。行政書士になったら?と突然奨められる。
  • 柚子から連絡あり、姑が今日から検査のため近所の病院に入院したとのこと。