『ファイナル・デスティネーション』を観る。

  • DVDで借りてきたジェームズ・ウォンの『ファイナル・デスティネーション』を観る。
  • ひたすら機械的にプログラムが作動してゆき、登場人物たちが凄惨な死に至るさまが見どころ。妙な云い方だが、ちょっと関心さえしながら見る。ラストの高揚感も可笑しい。犯人は死神だと云うことが訳知り顔のエンバーマーによってほのめかされるが、私たちに見えるのは風でカーテンが揺れるさまや、タイルの上を水が流れるのや、ヤカンの表面が曇ったりすることだけで、実際それが死に関係あるのか、私たちには判断できない。内面も心理もなく、ひたすら表面の機械的な運動があり、それを突き破るように(画面の外から何の前触れもなく自動車が突っ込んでくるのを、今のアメリカ映画はトラウマのように繰り返している)、時折、圧倒的な暴力が噴出する。『ファイナル・デスティネーション』と『ダージリン急行』は、そういう意味で、通底する映画だと云ってもいい。
  • 草森紳一、逝去。本をぽつぽつ集めてぱらぱら読むだけで、決して良い読者ではなかったが、かなり好きだった。ずっと待望している「「中国文化大革命」の大宣伝」の単行本はもう出ないままになるのだろうか……。
  • 突然、小説が読みたくなり、本棚からアンドレイ・クルコフの『ペンギンの憂鬱』をひっぱり出して読み始める。当たり。