『ポケットに、いつも。』をみる。

  • 起きて、柚子が焼いてくれたホットケーキを食べ、慌ててシャワーを浴びて、出かける。
  • ウトウトしながら電車に乗っていたら、車掌の車内アナウンスの、「降り口、右側に変わります」が、「俺ンち、右側にあります」に聞こえた。
  • ちんたら読んでいた(しかし、この本は、さっと読んだほうがいい)ラマチャンドランの『脳のなかの幽霊、ふたたび』を読み終える。あらゆる方法で確かに確認することができる脳の物理現象の話をしているかと思ったら、その話はいきなり、いわゆる哲学や認識論の、ものすごく深くて、興味ぶかい話に変身している。その反転の瞬間は、殆どマジックのように鮮やかで、これこそが科学の面白さなのだと思う。だから例えば、茂木健一郎の本にないのはこの愉しさ、つまり、科学が科学のまま哲学にジャンプすることの痛快さ、なのだ。何なら、活劇と呼んでも構わない。だから、ラマチャンドランは、フロイトを駆逐しない。

「君の愛はほんものじゃないのか? 化学物質にすぎないのか?」と言うかもしれません。エスメラルダはそれに対して、こう答えるべきです。「それどころか、この脳の活動こそ、私がほんとうにあなたを愛しているという確かな証拠、愛しているふりをしているのではないという確かな証拠よ。あなたはこの証拠を見て、私の愛がほんとうに存在するという確信を深めるべきなのよ」。藝術や敬虔さやウィットについても、これと同じ論法がなりたちます。