花組『愛のプレリュード/Le Paradis!!』をみる

  • 柚子と宝塚へ。電車のなかで、本棚からひっぱりだしてきた柄谷行人の『隠喩としての建築』から、「形式化の諸問題」を読む。ヘーゲルを読みながらだと、こんなところへ響きあう(むしろ、こういうことが問題であるのなら、やはりヘーゲルをきちんと読むということこそが、やらなければならないことなのだと確信する)。

貨幣は、商品の体系に"合理的"な基礎を与えるメタレベルにあると同時に、自らいつでも一商品となる。マルクスが、「商品は、一見したところでは自明で平凡な物のようにみえる。が、分析してみると、それは、形而上学的な繊細さと神学的な意地悪さとにみちた、きわめて奇怪なものであることがわかる」というのは、このことである。商品の「奇怪さ」は、それがたんに差異的なシステムであるだけでなく、自己言及的なシステムであるというところにある。