• 朝、「しま」が枕元で鳴いて起こされる。昨夜の濃い闇のなかでの機銃掃射みたいな雨が嘘だったかのように、すっきりと晴れて白く光っている空が窓から覗いている。
  • ケント・ナガノの振る《大地の歌》を聴いている。独唱がテノールと、女声のアルトではなくバリトンで歌われているのを聴くのは初めて。よく乾いて静かな、明るい昼の砂漠の空気のなかに瀰漫している、硬くて透明な珠のような死。音楽が、大袈裟になってうるさくなるところがなく、しかし、きわめて鋭く迫ってくる。かなり好きな演奏。
  • アルチュセールの『レーニンと哲学』を読み始める。ヘーゲルの残響を聴き取る。

私が哲学の《実践》と呼ぶであろうところのもの、さらには、哲学を実践することが意味するところのものにかんする意識、要するに哲学は【分裂させる】というあの厳しい源初的な事実に対する意識を、読みとることができます。科学が統一させる、それも分裂させずに統一させるものであるとすれば、哲学は分裂させる。また哲学が統一させることができるとしてもそれはもっぱら分裂させることによってであります。