高槻で『大地の子守歌』をみる。

  • 昼から出かけて、ずいぶん久しぶりの高槻セレクトシネマ。此処にきたのは、まだ学生のときで、そのときちょうどみたかった市川崑の『東京オリンピック』の上映があり飛んで行ったのが最初。
  • ずっと見逃していた増村保造の『大地の子守歌』をみる。
  • まだ十代の原田美枝子がひたすら跳びはね、転げまくる。その延長で、豊満な乳房がたびたび放り出される。勝手気儘に転げまわる運動体なので、時折それが怖くなった大人の男たちに捕まって、半裸にされてボコボコに折檻されるのだが(赤い絵の具をぶっかけた(ような)夥しい血糊!)、それでもその大きな丸いおっぱい同様、彼女はスポイルされることなく跳ねまわり続ける。どれだけ殴りつけても、やっぱり動き続けるので、めくらにしてみるが、まだそれでもぴょんぴょん跳ねるのを止めない(お遍路さん姿で、田中絹代につけてもらった鈴をその場で飛び跳ねて、あざやかに鳴らしてみせる)。ひたすら動き続けることが貫徹されていて、禍々しいほどすがすがしい。
  • お遍路さんや、獣の毛皮のチョッキを羽織った猟師、パンクな女郎など、たびたび衣裳や髪型を変えるが、どれもとても原田美枝子の魅力を引き立たせていて、感心する。おっぱいも大事だが、おでこの丸みと広さが大変よい。とても見事なアイドル映画であると思う。
  • キャメラも、被写体を追うというより、フレームのなかに「もの」のほうからどんどん飛び込んできてその内側が勝手に充填されてゆくというふう。
  • 牧師(その船の名は「ラザロ丸」!)を演じる岡田英次とか、女郎屋の旦那の灰地順とか、原田美枝子はなるほど驚異的だが、そのまわりの役者たちも皆きちんと巧い。短いが、かなり大事な役で出てくる梶芽衣子も綺麗。
  • 映画を見終えて、ちょっとロビーで休んでいると、買物袋を持ったおばちゃんたちが、どんどん入ってきて、クロード・シャブロルの『引き裂かれた女』をみているのに驚く。おばちゃんたちはたぶん、シャブロルを再評価する!などではなくて、地元の商店街の映画館でやっている、何か面白そうな映画だからみにきているのだろう。
  • 高槻セレクトシネマは今月で閉館する。それは、地方都市の商店街で、昔から在るちっちゃな映画館がなくなってしまうという、私たちの今の暮らしで、よくある風景だろう。しかしそのなかをよくみると、こういうおばちゃんたちがクロード・シャブロルの映画といきなり遭遇してしまう機会が奪われてしまう、ということが入っている。晩飯の支度の前に、ぱっと映画館に飛び込んで、暗闇のなかでいっとき暮らしから身を引き離して二時間ほどを過ごすことができなくなったおばちゃんたちは、これから何をみるのだろう。どうやって暮らしを活性化するのだろう。そんなことまで考えはじめると、これが私のひ弱な妄想に過ぎないことは判っていても、些かやりきれない。
  • だれが、どんな算盤を弾いて、この映画館がなくなるのか、私には判らない。しかしこの場所で何か新しい商売を始めるにしても、決して大きく儲けることはできないだろう。この街の民度がひとつ、決定的に大きく、下がるのだから。動物としての私たちが欲する商売しか許容し得ない街でなら、云うまでもなく、とてもきついコスト管理と値引に終始することになるだろうから。
  • 重い荷物を引っぱり堂島のジュンク堂に立ち寄り、dhmo君と電話で少し話して、そのままアルバイト。