- 鍼と医者に行き、一日が終わる。すっかり爺である。腰も痛いので整体にも行かねば。
- 朝届いたSKE48の『コケティッシュ渋滞中』(劇場盤)をずっと聴いている。《コケティッシュ渋滞中》はやっぱりすごくいい曲だと思う。《夜の教科書》は《少女は真夏に何をする?》風の、ちょっと昔の歌謡曲っぽさを模倣している曲で大好きだし、《僕は知っている》は「SKEぃぃぃぃ48っ!」って叫ぶ箇所で、思わず泣きそうになる。
- 佐々木敦の『4分33秒論』を読んでいる。
- 『スマスマ大運動会』の放送直前にSKEから須田、古畑、松井珠理奈が出ると知って慌てて録画する。叫びながら階段をおりてTVの前に突進したので、柚子が「出るの?」と云う。「恥ずかしいから訊かないで」と答える。三人が《恋チュン》の振付の指導をしているのをみて、SKEが褒められているのを聞くと、若干誇らしいようなくすぐったいような気持ちになる。私には、これっぽっちも、まったく、関係ないのだけれど。
- 明日も仕事なのに、夜中に圓生の《らくだ》を聴き始める。江戸の人情だか何だか知らないが、そういう上目遣いな結託が、これっぽっちもないのがいい。そこで語られる人びとの営みのさまは、どこまでもひえびえとしていて、暴力的で、あらゆるものが、ごろりと投げ出されている(屑屋も拾わない割れている火鉢、そして「らくだ」の屍体)。しかし圓生はそれを突き放しているのでもないし、冷笑しているわけでも、達観しているのでさえない。糞みたいなものに、そのままぴたりと寄り添ってみせるのである。それは同化ではない。批評である。他の落語を殆ど知らないが、私は圓生の落語だけに、話藝の巧みさとかそういうことを除けても、ほっと、心を落ちつけることができるような気がする。