• 駅のコンビニでリュビモフの七枚組のボックスを引き取ってくる。ジグザグレコードから出ていたものだが、曲目リストとCDだけが入っている何もないとてもシンプルなもので、最初に出ていたときについていた録音時の写真とかリュビモフのコメントなどが載ったライナーノートはすっかりなくなっていて、ちょっと残念。
  • 昨日見た前田弘二の『まともじゃないのは君も一緒』のことを考えながらそろそろ雨の降ってきそうな夜の道を歩いている。清原果耶と成田凌泉里香小泉孝太郎はそれぞれとても特徴のある声を持っていて、彼らの台詞でこの映画のサウンドはびっしり埋められている。シュプレヒシュティンメのようになるときすらあるにも拘らず、では、この映画はなぜミュージカルではなかったのか。それは彼らが歌うべき歌を持っていないからだろう。彼らはカラオケで歌う持ち歌はあっても、自分だけが歌う歌を見つけられないでいる。あるいは、誰もが間違った歌を自分の歌だと思い込んでいるので囀れば囀るほど、自分の鳴き声の意味が判らなくなっている。彼らに対して倉悠貴と山谷花純のペアだけが自分の歌を持っているが、彼らにはそれはあまりにも自明で、自分だけの歌であることに気づいてすらいないまま、だから他の二組に比べるとほんのわずかな台詞でしかないが、充足して、睦み合っている。90分程度の映画は、最後に礫の激しい投げ合いを止めて、穏やかで、ほとんど意味のない言葉のキャッチボールになる。彼らだけの歌が生まれるのか生まれないのかその直前までをカメラとマイクは捉えて、映画は終わる。
  • Netflixでアンドリュー・ロッシの『アンディ・ウォーホル・ダイアリーズ』を見始める。ウォーホルの日記はとても好き。日記のテクストを読むのはAIで作ったウォーホルの声らしい。