• 朝は「しま」に起こされる。蒲団に潜って小林信彦の『1960年代日記』を読み終える。昨日三人と話をしていて、私はやっぱり大島渚のつかみどころのなさについて話したのだが、大島渚だって何だって映画は映画だ。そこに映像として在る限り必ずつかみ取ることはできるはずだと、けさ起きたときに、はっきりと思う。私の大島渚論は書けるだろう。
  • 隣町まで餅を買いに出る。駅と家の間あたりまで来たところで雨に降られて濡れる。薬屋と本屋にも寄る。
  • 中原弓彦の『虚栄の市』を読みはじめる。夜、今日は台所で一日お節を作っている柚子と、並んで年越し蕎麦を食べる。部屋で大島渚の『絞死刑』を半分ほど見る。蒲団の中で『虚栄の市』を読みながら、ちょっと寝たりしているうちに、紅白を一分も見ることなく、もう年を越えていた。