• 今年は辰年だ。
  • 風呂に入ってまた蒲団に潜り込んで中原弓彦の『虚栄の市』を読んでしまう。語り手に手を曳かれて、1960年代の東京の前衛やらメディアの薄暗い盛り場を笑いながら眺めて、ぐるぐる降りてゆくうち、すごく残酷で冷え切った底に連れてゆかれ、取り残されるような小説。それゆえに、この小説には救いを希求する心も強いのだが(「どうして、こういう資質を伸ばすようなことをしなかったんだろう?」)、しかしそれをしっかり掴むことは至難であり(「あとに残ったのは、罫線のみ白く見える燃殻であった」)、微かに掴み得たかに思ったものも「窓から吹き込む風に飛ばされて、あっという間に散り散りになってしま」うのである。裏表紙に江藤淳の推薦の言葉がある。調べものをしていると、江藤淳ひとり挟んで大島渚、ということがとても多い。
  • 夕方、1961年1月号『映画評論』で中原弓彦「贋者の季節 寺山修司氏の「御返事」への御返事」を読みながら、まるでこれは『虚栄の市』そのものだなと思って笑っていると地震が来る。のったりした横揺れで、机の上に積んだCDの柱を手で押えてやり過ごす。
  • 柚子が台所に籠っているのでそれが気に入らない「しま」がもせめて私は居間に来いと階段の下で鳴く。居間の椅子に坐って「しま」にくっついて吉岡康弘の『アヴァンギャルド60's』所収の回想録「六〇年代・覚え書」を読んだ。ジョン・ケージ初来日のときの各地でのスナップは吉岡が撮っていたのか。
  • 柚子の作ってくれたお節をつまむ。中原弓彦の『世界の喜劇人』を読む。能登地震が気がかり。