• マイケル・ボンドの『パディントンのクリスマス』も読み始める。写真屋さんの店先に飾られるほどの「非常に珍しい型の初期のカメラ」でブラウンさん一家を撮る「家族写真」で、パディントンが撮る写真は「少しぼやけていて、ふちのほうに数か所、前足のあとがついてい」るのだが、それは

「はっきり、きれいにとれてはいるんですよ――たしかに、みなさんがた全部うつっていますがね――しかし、ところどころ、霧がかかったようになってるんですよ。それに、このポツポツと明るい部分ですね――お月さまの光みたいに――これがどうも変ですなあ!」
 パディントンは、写真屋さんの手から感光板をうけとって、ていねいに調べました。そして、だいぶたってからいいました。
「これ、ぼくがおふとんの下で、懐中電燈をつけたところだと思うよ。」

  • ほかにもガイ・フォークス・ナイトの珍騒動「パディントンとたき火」(「二人で考えれば、問題は半分だよ、ブラウンのだんな。」と、グルーバーさんはよくいいました。「たしかに、おまえさんがこの近所に住むようになってから、わしは、調べもののたねに不自由しなくなったよ。」)や、「クマであるということは、いいことでした。とりわけ、パディントンという名のクマであることは」と締め括られる「クリスマス」など、本当に素晴らしい短篇ばかり。ペギー・フォートナムの挿絵も冴えわたっている。特に「家族写真」で黒いフードを被って三脚つきのカメラを操作するパディントンを描いた絵がいい。

  • くまのパディントン』を読んでいる。昔小説の学校に通った時、田中哲弥氏が薦めてくれて、それからずっと読みたいと思っていたのだが、あれから何年経ったのかしら。「絵というものは、かいている最中はおもしろいけれど、なかなか思うようにはうまくいかぬものです」という「パディントンと名画」も楽しいが、「パディントンの芝居見物」がとても素敵である。

  • 午後からシネ・リーブル神戸でカンテミール・バラゴフ『戦争と女の顔』を見る。久しぶりの映画館。やはり疲れているようで、初め少しうとうとするが、好みの映画だった。マティスのような緑や赤の服を纏い、空っぽの黒い空洞を抱えた女ふたりがいて、その空洞を何とか埋めようとするがそれはとても難しい。彼女たちと関わる男たちを含め俳優の顔がいい。公衆浴場のシークェンスで画面に女たちの裸が溢れるが、ぞっとするほど不気味な肉塊として撮られている。ポスト絶滅戦争のドミニク・アングルのような、すさまじいショット。エフゲニー・ガルペインの音楽も好み。エンドクレジットで流れる歌が特に素晴らしい*1。もう一度見たい。
  • NewJeansの《Attention》はいい曲だと思う。
  • サイギャラリーからの案内葉書で、倉智久美子が昨年末デュッセルドルフで亡くなったことを知る。

  • 仕事の帰りにシネ・リーブル神戸でフィリップ・バランティーニの『ボイリング・ポイント』を見る。バリバリ仕事に精を出すような映画かと思っていたらそうではなくて、「アタマ沸いとるな」という言葉が関西にはあるが、「ボイリング・ポイント」とはこの「沸いとる」の意で、クリスマスの夜の混雑するレストランを舞台に、シェフの人生がぐつぐつ煮え立って、愈々、笛のついた薬缶のように「ピー」と鳴ってしまうまでの90分を描いている。
  • 90分はワンカットで描かれる。しかし、他ではなくこの対象にカメラが寄っていって画面のフレームを与えるということは、既にカットを割っているのだということもできる。