• 先日聴いた『Washing Machine』がとてもよかったので、まだ中古レコード屋の棚に残っていた『A Thousand Leaves』を買って帰る。この歪みまくったギターとゴツゴツしたドラムだけでいい。《Wild Flower Soul》はいい曲だと思うが、すかした男前の歌声が入ってくると少しがっかりする。普通にいい曲を聴きたいわけではないのだ。どうせヴォーカル入りなら《French Tickler》とか、キム・ゴードンが歌っているときが好みである。『Washing Machine』のほうが断然好きだが、これも悪くないアルバムだと思う。晩御飯を食べて、明日は晴れだと柚子が教えてくれたので洗濯機を回さねばと思いつつ、また寝てしまう。

  • 本屋やレコード屋を覗いてから、元町の喫茶店に寄って、お茶を買って帰る。四月から値段が上がるよと言われる。今日もバッハが掛かっていて、ECMアンドラーシュ・シフの《ゴルトベルク》だった。紅茶を淹れる。柚子と晩御飯を食べる。蒲団で『時の矢』の続きを読む。そのまま眠ってしまう。最近、中途半端な眠りを眠っているせいで、朝になっても、いつまでも眠れてしまう。

  • 朝から雨がざぶざぶ降っている。駅前の横断歩道のすぐ脇の低い街灯の上に濡れたカラスが留まっていて、どこかビルの上にいるらしいカラスと同じメロディで鳴き交わし合っている。シネ・リーブル神戸でタル・ベーラアサイヤスや黒沢清鳥山明岡崎乾二郎などと同じ1955年生れ)の『ヴェルクマイスター・ハーモニー』を見る。あまりにもセンチメンタル過ぎるのではないか!と驚かされもするが、いい映画だった。ランシエールは『平等の方法』の中で、「こんな光、こんな動き、こんな速度で物体や場所がフィルムに収められたことは一度もなかったろうという気持ちにさせられる瞬間もあります」と、映画ならではの喜びを具体的な数本のタイトルを挙げて語るが、やはり、映画というものはそういうものであってほしいと思う。映画館の中で蹲っているうちに、雨は止んでいる。中古レコード屋をぐるっと回って帰る。

  • 晴れているので洗濯機を回してから出かける。梅田の阪急のお菓子売り場の人混みの中、買物を済ませてから、西九条まで出て、ぶらぶらと歩きながら写真を撮る。野田の駅前まで出てきた頃、そろそろ寒くて夕方になってきたので、引き上げる。耳鼻科に寄って、あと一週間分の薬を貰って、本屋を覗いてから帰る。洗濯物を取り込む。

  • 晴れているので朝から洗濯機を回して干す。風呂に入りながら『時の矢』の続きを読んで、風呂掃除をする。この小説は、試しに真似してみるなら、「バスタオルを使って素っ裸の身体を、頭の先からつま先まで、くまなく水滴だらけにすると、バスルームの中に入っていった。空っぽのバスタブをたっぷりの水が出るシャワーを使って濡らし、スポンジを手にして、泡だらけにする。それから今度は、バスダフの中を濁ったぬるま湯でいっぱいにして、その中にどっぷりと身体を横たえた」というような感じで逆向きに進む。語り手としての「私」と語られている「私」は遊離しており、そうすることで語りを、任意のサイズのシークェンスとして提示することを可能にしている。外の風は冷たいので「しま」はベランダの際まで来て、外には出ずに階段を下りる。昼、履き倒して股座が駄目になってきたパンツを二本、買い替えたのが届く。古くなったのは寝間着がわりに部屋で着ることにする。昼過ぎ、一瞬だけ、とても激しく雨と一緒に雹が降る。『Washing Machine』を聴きながら書類を作る。あまりうまくゆかず夕方は昼寝。

  • マーティン・エイミスの『時の矢』を読み始める。帰り道の中古レコード屋にいよいよソニック・ユースが纏って入ってきたので、オリヴィエ・アサイヤスの『デーモンラヴァー』のサントラ盤と『Washing Machine』を買ってみる。決してYouTubeで試聴しないでCDを買うのは面白い。
  • 帰宅して「しま」のごはんの準備をして、さっそく『Washing Machine』を聴き始める。『Sister』はこんなもんかと思ったが、これはいい。筋金入りのノイズを感じる。とても好き。