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- 朝は早く起きて新幹線。坐ってしばらくするともう眠っている。昨日の夜から読み始めた林晋の『ゲーデルの謎を解く』を読み終え、ロベルト・ユンクの『千の太陽よりも明るく』も読み終える。朝永振一郎の『鏡の中の物理学』を読んでいるうちに東京に着いて、大手町まで歩いて、表参道まで。「ファーガス・マカフリー東京」でアンゼルム・キーファーの「Opus Magnum」展を見る。水槽の底が支持体であるとするなら、これらはやはり絵画なのではないか。「seeen」で、ボッテガ・ヴェネタを撮ったアレック・ソスの「TOKYO PLAYTIME」展を見る。新大阪の駅で買った「ガーリックとオニオンが効いたソルティーナッツ」をときどき食って、ペットボトルの烏龍茶を呑んでいる。上野まで出て、花見客の間を縫いながら写真を撮る。東京藝大の中の「奏楽堂」で、ディオティマ弦楽四重奏団の「シェーンベルク弦楽四重奏曲全曲演奏会」を聴く。とにかく《1番》の集中ぶりが凄まじかった。あとは《4番》も非常に良かった。《2番》は録音で聴いていると、シェーンベルクの弦楽四重奏曲の中で最もいい、ぐらいに思っていたのだが、実演に接すると少し印象が変わった。大変満足して、新幹線でとんぼ返り。
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- ハーバーランドのOSシネマズでクリストファー・ノーランの『オッペンハイマー』を見る。
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- ようやくドゥニ・ヴィルヌーヴの『デューン 砂の惑星PART2』をハーバーランドのOSシネマズで見る。正直『PART1』は最近のヴィルヌーヴの映画の中では凡庸な出来だと思ったが、この『PART2』はすさまじい。あちらとこちらの閉ざされた箱の中がなぜか繋がってしまう(これは「逃れ得ない運命(未来)」とは違う)というヴィルヌーヴのオブセッションで充溢している。ひたすら映像と音が美しく、ふと『アレクサンドル・ネフスキー』を映画館で最初に見た人たちはこんな感興に浸ったかもしれないと思う。ティモシー・シャラメが手をすっと突き出して、ひらひらとさせるだけで、世界がびりびりと恐怖で震えるのが判る。
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- 夜、ナンバさんとシノギさんとジュスティーヌ・トリエの『落下の解剖学』をめぐって話す。ナンバさんの「50 Centの《P.I.M.P.》とショパンの《24の前奏曲》の「第4番」はどちらも同じ落下する音型で組み立てられており、あの夫も息子も、まるで違う音楽を選んでいるようで、どのみち、母に引きずられて落ちてゆくのだ」という見立てには瞠目。さすが。しかし、このマチズモ(女性だから母親だからそれから逃れられるわけではない)と独白と告白の支配するこの映画が、よい映画であるとは到底私には思えない。話を終えてTwitterを見ると、最近はすっかり私も何かを聴くときに選ぶ盤ではなくなってしまったが、マウリツィオ・ポリーニも亡くなったそうだ。合掌。