• 昨日の夜中引っ張り出してきたグリンゴルツ弦楽四重奏団の録音でシェーンベルク弦楽四重奏曲の《3番》と《1番》を聴いている。奏者の息遣いも入っている録音で、とても厳しく力のこもったゴリッとした演奏で、これも大変いい。
  • 朝永振一郎の『鏡の中の物理学』を読み終える。とても面白かった。「いまその、鏡にうつったのがどうとか、フィルムにうつして逆にまわしたらどうとかいうようなことは、それを研究したところで、ほんとうをいうと、それは人間を幸福にもしないし、不幸にもしないわけです。で、科学をこういう面から見るかた、第三の見かたですね、これを忘れないでほしいように思うわけです」。

  • 朝は早く起きて新幹線。坐ってしばらくするともう眠っている。昨日の夜から読み始めた林晋の『ゲーデルの謎を解く』を読み終え、ロベルト・ユンクの『千の太陽よりも明るく』も読み終える。朝永振一郎の『鏡の中の物理学』を読んでいるうちに東京に着いて、大手町まで歩いて、表参道まで。「ファーガス・マカフリー東京」でアンゼルム・キーファーの「Opus Magnum」展を見る。水槽の底が支持体であるとするなら、これらはやはり絵画なのではないか。「seeen」で、ボッテガ・ヴェネタを撮ったアレック・ソスの「TOKYO PLAYTIME」展を見る。新大阪の駅で買った「ガーリックとオニオンが効いたソルティーナッツ」をときどき食って、ペットボトルの烏龍茶を呑んでいる。上野まで出て、花見客の間を縫いながら写真を撮る。東京藝大の中の「奏楽堂」で、ディオティマ弦楽四重奏団の「シェーンベルク弦楽四重奏曲全曲演奏会」を聴く。とにかく《1番》の集中ぶりが凄まじかった。あとは《4番》も非常に良かった。《2番》は録音で聴いていると、シェーンベルク弦楽四重奏曲の中で最もいい、ぐらいに思っていたのだが、実演に接すると少し印象が変わった。大変満足して、新幹線でとんぼ返り。

  • 阪神電車で福島まで出て大阪中之島美術館の「モネ 連作の情景」展を見る。浜に上がっている三艘の漁船やノルマンディーの断崖や夕暮れのウォータールー橋など、そういうタイトルが絵の脇についているが、私が好きなのはこれらの表面の絵の具の粒立ちや筆致や筆痕なのである。とは言え、たとえば《ヴェルノンの眺め》と題された絵の前に立って、じっと画面を見ていると、グレーと茶の混ざった筆が作ったひょろ長いハッシュタグのようなものが、いきなり頭の中に、確かな質感と、それがそこに紛れもなく在るという空間を伴って、草原の中にぎくしゃくと見える木製の柵として立ち上がる瞬間がある。それがとても面白い。

  • 今日はようやくすっきり晴れたので洗濯物を取り込み、洗濯機を回して洗濯物を干し、写真を撮りに出かける。夜になって帰ってきて洗濯物を取り込む。夜中にディオティマ四重奏団の新ウィーン楽派ボックスを引っ張り出してきて、シェーンベルクの《弦楽四重奏曲第1番》を聴いている。とても真面目な音楽なのだけれど、ところどころ急にぐにゃりと奇妙に歪んだりしていて、面白い。終わったので、そのまま蒲団に入って眠る。

  • 夜、ナンバさんとシノギさんとジュスティーヌ・トリエの『落下の解剖学』をめぐって話す。ナンバさんの「50 Centの《P.I.M.P.》とショパンの《24の前奏曲》の「第4番」はどちらも同じ落下する音型で組み立てられており、あの夫も息子も、まるで違う音楽を選んでいるようで、どのみち、母に引きずられて落ちてゆくのだ」という見立てには瞠目。さすが。しかし、このマチズモ(女性だから母親だからそれから逃れられるわけではない)と独白と告白の支配するこの映画が、よい映画であるとは到底私には思えない。話を終えてTwitterを見ると、最近はすっかり私も何かを聴くときに選ぶ盤ではなくなってしまったが、マウリツィオ・ポリーニも亡くなったそうだ。合掌。