- ロート美恵『女たちのウィーン』(文藝春秋)
- 著者の献呈および名刺入り(苦笑)。著者は建築家で、講談社現代新書から以前なかなか面白そうな世紀末ウィーンの評伝を出していた。
- 中村昇『私はいかにして哲学にのめりこんだか』(春秋社)
- 村上龍『ニューヨーク・シティ・マラソン』(集英社文庫)
- 『SFマガジン』今月号のタカノ綾のイラスト(エッセイ)を見て、そーいえばあれは読んでないと気付く。ルポかエッセイの類だと思っていたのである。予想通り、ブックオフの105円の文庫の棚にあった。最近の若いひとには信じられないし、そもそも既に「村上龍って誰?」ってなものかも知れないが、昔は(駄作も多いが)パワフルで面白い小説を書いていたものである。最後に読んだ新刊は『ヒュウガ・ウイルス』だったか。あれは酷かった。特別な訓練を受けた狙撃手の名前が途中から変わってるなんて、あんまりだ。椹木野衣と一緒に「神は細部に宿る」、なーんて対談集を出してた癖に。ところで上野俊哉と椹木が仲たがいしたのは、やはり福田和也の引力圏に椹木が引っ張られたためか? 上野の痛烈な『日本・現代・美術』の批判が載ったのは『スタジオヴォイス』だったか。河出文庫版とちくま学芸文庫版の『シミュレーショニズム』の解説は、それぞれ上野と福田が書いているのである。
- 上野と福田は、コインの裏表であるように、私には思われる。左を選んだか右を選んだか、一年戦争を選んだかを満洲事変を選んだか等々の違いはあるが、精神的には双子ではないか。
- 福田和也と上野俊哉を左右に配し、中間に武田徹を置いて、彼らの批評を読む。'90年代の批評を味わうこの食い合わせは、なかなかイケるのではないかと自画自賛しているのであるが、どうだろうか?*1
- 昔の『スタジオヴォイス』のブック特集はよかったのに、先月だか先々月のそれはダメダメだったなあ。菊地成孔を出せばいいと思っているのが見え見えである。破壊力があるからこそ、要を得た使い方をしなきゃ。今月号の「森」の特集は久しぶりに力が入っているように思ったが、あいにく私自身に興味のレセプターがない。
- 立ち読みした『野生時代』に掲載の菊地成孔の短篇は最高だった。菊地の純文学系のお仕事の中では、取りあえず今の処、最高点ではないだろうか。