蒸しパン続報

  • 柚子はずいぶん調子が良くなったので、きょう一日は大事をとって会社を休むことにしたと云う。
  • 私が会社へ出掛ける前、襖を開けて寝室を覗くと、柚子が蒲団のなかで、昨夜の黒糖蒸しパンを、もそもそと食んでいた。枕は襖のほうに向いているので、私は彼女の顔を逆さから覗き込むぐあいになるのだが、目があうと、柚子がちょっと笑う。
  • 丸山眞男の「日本の思想」を読み終える。たかだか六十頁弱の論だが、ぎっちりぎちぎちに詰め込まれている。
  • この論文は「超近代と前近代とが独特に結合している日本の「近代」の性格を私達自身が知る」ために書かれている。昭和32年に発表された論考だが、充分に今の私たちの世界を考えるための示唆に富んでいる。幾つか抜き出してみる。

小林秀雄は、歴史はつまるところ思い出だという考えをしばしばのべている。それは直接には歴史的発展という考え方にたいする、あるいはヨリ正確には発展思想の日本への移植形態にたいする一貫した拒否の態度に結びついているが、すくなくも日本の、また日本人の精神生活における思想の「継起」のパターンに関するかぎり、彼の命題はある核心をついている。新たなもの、本来異質的なものまでが過去との十全な対決なしにつぎつぎと摂取されるから、新たなものの勝利はおどろくほどに早い。過去は過去として自覚的に現在と向きあわずに、傍におしやられ、あるいは下に沈降して意識から消え「忘却」されるので、それは時あって突如として「思い出」として噴出することになる。
これは特に国家的、政治的危機の場合にいちじるしい。日本社会あるいは個人の内面生活における「伝統」への思想的復帰は、いってみれば、人間がびっくりした時に長く使用しない国訛りが急に口から飛び出すような形でしばしば行われる。(……)
何かの時代の思想もしくは生涯のある時期の観念と自己を合一化する仕方は、はたから見るときわめて恣意的に見えるけれども、当人もしくは当時代にとっては、本来無時間的にいつもどこかに在ったものを配置転換して陽の当る場所にとり出して来るだけのことであるから、それはその都度日本の「本然の姿」や自己の「本来の面目」に還るものとして意識され、誠心誠意行われているのである。(……)
本来、理論家の任務は現実と一挙に融合するのではなくて、一定の価値基準に照らして複雑多様な現実を方法的に整序するところにあり、従って整序された認識はいかに完璧なものでも無限に複雑多様な現実をすっぽり包みこむものでもなければ、いわんや現実の代用をするものではない。それはいわば、理論家みずからの責任において、現実から、いや現実の微細な一部から意識的にもぎとられてきたものである。従って、理論家の眼は、一方厳密な抽象の操作に注がれながら、他方自己の対象の外辺に無限の曠野をなし、その涯は薄明の中に消えてゆく現実に対するある断念と、操作の過程からこぼれ落ちてゆく素材に対するいとおしみがそこに絶えず伴っている。この断念と残されたものへの感覚が自己の知的操作に対する厳しい倫理意識を培養し、さらにエネルギッシュに理論化を推し進めてゆこうとする衝動を喚び起すのである。

  • 仕事を終えてからU君邸へ。U君が京都で買ってきた和服を着せてもらう。実に面白い。きもの欲しいなあ。
  • U君に急の仕事が入ったので、その間に「思想のあり方について」を読み始め、あっと云う間に読み終わる。
  • 有名なササラ型とタコツボ型の文化タイプ(「基底に共通した伝統的カルチュアのある社会」がササラ型、「そうでなく、最初から専門的に分化した知識集団あるいはイデオロギー集団がそれぞれ閉鎖的な「タコ壷」をなし、仲間言葉をしゃべって「共通の広場」が容易に形成されない社会」がタコツボ型)が初めて現れる講演の記録である。やはり初出は昭和32年だが、日本の社会や文化のありかたがタコツボ型で、あらゆるタコツボ型集団がみずからを「何か自分たちに敵対的な圧倒的な勢力に取り巻かれてるっていうような、被害者意識を」、「自分たちの立場や言い分はいっこう通じない、また通じさせてくれないという孤立感」を持っていると云うのや、「現在の日本全体としてはクローズド・ソサエティではない、それどころか日本全体としては、八方破れで、世界中に向かって開かれている」が、日本の国内のタコツボ化した集団は「横の等質的なコミュニケーションがなくて、かえってそれぞれの集団がそれぞれのルートで、外のインターナショナルなルートとつながっているという非常に奇妙な状況が見られる」と云うのも、今もそのままあらゆる曲面にズバリと当て嵌まらないか? 
  • そのまま「「である」ことと「する」こと」を読み始める。
  • 共同謀議を進める。明日以降に持ち越し。