『ローエングリン』を聴く。

  • とは云え、珍しくワーグナーのオペラではない。MT君から頂戴したサルヴァトーレ・シャリーノのピアノ作品集と「ローエングリン」を聴く。
  • シャリーノのオペラや管弦楽を聴いていると、其処には独特の「水と油」な感じがある。歌手も各々の楽器も沈黙も、まるで好き勝手に、それぞれで進行してゆくようなふうに、音楽が奏でられてゆくのだが、時折、本当は気になっている相手を盗み見るように、ちらり、ちらりと、互いを視界の端に意識している。だから時折、非常に妙なる調和的な旋律さえ聴こえてしまうのだが、そうなるとすぐに、慌てて互いに目を伏せてしまって、各々は再び次の「偶然」の逢瀬まで、それぞれの道を辿ることになる。その無関心(の振る舞い)と呼び交わしの繰り返しがシャリーノの音楽の面白さだと私は思っていて、それが「ローエングリン」には、先日聴いたオペラ『私の裏切りの瞳』より更にくっきりと浮き彫りにされていて、面白かった。しかし、ピアノ曲のほうは、独奏楽器のための音楽だからか、無視も応答もその幅が如何にも狭くて、ずいぶん普通の現代音楽のピアノ曲、と云うふうに纏まってしまっていると感じた。
  • 午後遅くから出掛けて、神戸の古本屋をぶらぶらと廻り、そのまま梅田まで出て、DVDを返却。
  • 夜、柚子と待ち合わせて、いつものお店でスパゲッティを食べて、帰宅する。電池切れのように、就寝。