カリカリ。

  • 「しま」は、けさも七時前から遊ぼうよ遊ぼうよと、蒲団からはみ出している私の足や腕をがしがし齧ったり、針のような小さくて鋭い爪をぶすぶす刺してくるのだ。
  • おかげで早起き。柚子を見送り、「しま」のカリカリと水を用意して、パンを齧る。台所に、「しま」のカリカリを咀嚼する、小さくて硬い、木の実の殻を割るような音が響く。
  • 一柳慧の「循環する風景」や「森の肖像」の入った作品集を、しまい込んだCDのなかから引っ張り出してきて、再び聴いてみる。それらは、とてもよくできていることは認めざるを得ない。しかし、よくでき過ぎているのだ。そんなふうに感じるのは、それは私が一柳の音楽に、音楽の枠のなかを充実させることよりも、その枠を過剰に押し広げることを期待しているからなのだろう。
  • I嬢から頂戴した、鈴木治行の『語りもの』を聴く。全く素晴らしい。これは、リュック・フェラーリではなくて、ヴォルフ=フェラーリではないか。つまり、これは断じてオペラなのだ! 20世紀の現代音楽が途絶えることなく取り組んできたオペラの可能性の追求の、日本に於ける最高度の達成点のひとつであると、私は聴いた。ゴダールの映画がどうしたとか云うより、これはオペラとして聴くほうが絶対に面白い。J・G・バラードの書いた「コンデンスト・ノヴェル」に倣って「コンデンスト・オペラ」とでも呼びたい。
  • アルバイトを終えて帰宅する。柚子はもう帰っていて、「しま」と遊んでいる。
  • 夜中に『仁義なき戦い 代理戦争』をDVDでまた見る。本当によくできているなぁ。