金村修「Ansel Adams stardust (You are not alone)」をみる

  • じくじくと後悔しながら寝覚め悪く居間の転寝から醒める。どんよりとした気分抜けぬまま風呂に。朝飯昼飯を兼ねて、塩ラーメンを湯をとても少なく茹でて生卵を混ぜて粉チーズを大量に振りかけて食べる。昼を過ぎ、そろそろ夕刻。何をする気にもならないが、洗濯機は廻してしまったので(機械は、ただ働くのが尊い)ようやく洗濯物を干す。役所に電話。
  • 京都の美術展を見にゆくにはもう全然時間もなく、梅田でやっている展示をみようと調べて、大阪ニコンサロンで開催中の金村修鈴木理策だとか米田知子だとか、MR君からもうずいぶん前にいろいろ教えてもらって以来、現代の日本の写真家のなかで、いちばん気になっている。心斎橋のコムデギャルソンでの中平卓馬展のときの映像作品もとてもよかった)の写真展「Ansel Adams stardust (You are not alone)」に。ギャラリに入った瞬間、鼻腔を刺す酢酸(停止液)のむっとした匂いがやってきて、眼は、ギャラリの白い壁面を覆い隠すようにして、ピン留めで貼り出されている巨大な黒白写真のさまに、ぐいと吸い寄せられる。一発で憂鬱が吹き飛ぶ。ところどころ、安ホテルの壁紙のように、角がべろりと捲れてもいるその黒白写真たちからは、プリントの大きさそのもの、フレームのなかに写っている(配置されている)ものの鮮烈な美しさ、さらに、現像の過程をあからさまに残した痕跡によって、図抜けた力強さを感じる。しかし一方で、まだ抜けない酢酸の匂いに、総てが焼き尽くされるように画面を「黒」が覆ってしまうことに慄きに震えているようでもある。崇高と藝術の狭間で、ゾンビとしての写真が迫り出している。とても魅力的である。壁面のひとつには、床まではみだして、ミスタイプの誤字脱字があちこちに残ったままの、金村のとても長い文章のプリントが何枚も繋げて貼ってあり、閉廊まであまり時間がなかったので全部を読むことができなかったが、後藤明生の団地とプロレタリア階級闘争ポール・ニューマンの胃袋が写真を巡って角突き合わせるこれも大変スリリング。
  • ようやく柚子にメールを返信する。