• 文学フリマで久しぶりに会った123君のところの坊やが私の名前を呼んでくれているそうで莞爾。
  • たらたらと読んでいたポール・オースターの『闇の中の男』を読み終える。クッツェーとの書簡集を読んでみようと思っているので、何か久しぶりに読んでおきたいと思ったから。
  • 老人が眠ろうとするが眠れないで夜を過ごす、やがてようやく短い眠りを得て、朝がやってきて目が醒めるまでを描いた小説だが、同時に、9.11の起きなかったアメリカでの「内戦」を描き、或る夫婦の蜜月と破局と再生を描いている。アメリカの内戦と夫婦を描いた小説を読みたいと思わないなんてことがあるだろうか。そういえば、福田和也によると江藤淳は妻を看取るベッドの横で、エドマンド・ウィルソン南北戦争を論じた『愛国の血糊』を読んでいたそうだ。
  • 「可愛い子らよ、我々は前進しているのだ、この混沌はひどく辛いかもしれぬが、そこには詩情もあるのだ、それを表わす言葉が見つかるなら、そういう言葉が存在するとして。そうともミリアム、世の中は嫌なものだ。でも私はお前に、幸せになってほしいとも思うのだ。」、「甲高い汽笛の音が我々の耳の中で鳴り響く。残酷な、耳をつんざく音。嫌ねえ、世の中って。/わしはあんたに幸せになってほしいんじゃ。/こうして場面はあっけなく終わる。」、「ベティは心が破れて死んだのだ。この言い方を聞くと笑う人もいる。でもそれは、世界について何も知らないからだ。人は本当に、心が破れて死ぬのだ。それは毎日起きているし、これからも時の終わりまで起きつづけるだろう。」、「私自身を物語の中に入れることで、物語は現実になる。さもなければ私も現実ではなくなる。私の想像力のもうひとつの産物にすぎなくなる。どちらであれ、この方が物語として効果的であり、私の気分にも合っている。そして私の気分は、可愛い子らよ、暗いのだ。私を取り囲む暗黒の夜に劣らず暗いのだ。」
  • 夜を越えて、朝の微光のなかで、じぶんの以外の眠りを眠っているひとの寝顔をみつめながら終わるこの小説はとてもきれいで整っている。そうではないものを読みたいのなら、他のものを読むか、じぶんで書くか、すればよい。